『笑点』を卒業しての暮らしぶり

落語長屋の住人が宇宙でワイワイやる落語版スターウォーズのアニメ化が夢(撮影/佐藤靖彦)
落語長屋の住人が宇宙でワイワイやる落語版スターウォーズのアニメ化が夢(撮影/佐藤靖彦)
【写真】『笑点』最終収録日に弟子たちと記念撮影を撮った林家⽊久扇

 “アフター笑点”の時代を歩き始めた木久扇は、

「すごくホッとしましたね」と番組収録から解き放たれた現在の心境を漏らす。

「55年間、学校に行って、毎回試験を受けているようなものでした。最初のころはテレビに出られてうれしかった。そのうち、おバカキャラが確立して面白いことを言う人ってなって、そんなに毎回面白いことって浮かばない」

 毎週必ず、放送を真剣にモニターしていたという番組の見方も、最近では少しいいかげんになったという。

「30分ぐらい前になると日テレに合わせるんだけど、この前なんか寝ちゃった。気づいたら3問目でした。以前ならこう答えればよかったとか、登場時の顔が怖いからニコニコしようとか、いろいろチェックしていたんですけどね」

 毎朝7時半には目覚め、ラジオ体操をしてから、2年前に骨折した大腿骨まわりの筋肉量を増やすために加圧ベルトを締めての足の上げ下げ、さらには室内を歩き回り、高校時代から続けている剣道の素振りを60本。お尻から足首まで半円を描くように振り上げては下ろす。

 睡眠時間はたっぷりと8時間前後を確保する。朝食の食卓には、納豆やひじきの煮物、佃煮が並び、子どものころに、その匂いで目覚めたという鰹節の匂いが今も食卓で、木久扇を覚醒させる。

「下町育ちなので和食系。洋食は遠くの食べ物という感じで、ナイフとフォークを持っているのは、よそよそしい感じですね」

 食べる量は減りましたね、という食事だが、仕事への意欲はまったく衰えない。

07年には息子の木久蔵と親子ダブル襲名披露を
07年には息子の木久蔵と親子ダブル襲名披露を

「僕は落語界の呼び込み役だと思っているんですよ。お客さんも入るし、落語人口を増やそうと思って、息子との木久扇木久蔵ダブル襲名を仕掛けて、全国で81公演をやりました。

 人を笑わせるのが好きで、僕の場合は爆笑落語でお客さんをつかむ。おしゃれで渋い木のイスより、はずんで楽なほうがいい。この世界にいる限り『座り心地のいいスプリングのイス』になりたいんです」

 来年春に、最後の弟子の林家けい木が真打に昇進することが先ごろ、発表された。

 息子の木久蔵のせがれ、孫の豊田寿太郎くん(16歳・高校2年)が4月に著書『コタ、お前は落語家になりたいの?』(今人舎)を出版した。

 木久扇は孫の活躍にまなじりを下げるが、落語家になることについては「リスクの多い商売だからね。僕からすすめると責任もあるし、本人になりたいと気持ちが芽生えたら、だね」

 と、見守る姿勢。2年後、コタくんが高校を卒業するころに進路を落語界に決め入門すれば、林家木久扇(そのころ88歳)、林家木久蔵(そのころ51歳)、林家寿太郎(仮名、そのころ18歳)の親子三代の現役落語家が出現する。

「画期的ですね」と水を向けると、にっこりし、こう答えた。

「寿命が授かっていればですけどね」

今年5月3日に東京・浅草演芸ホールの昼の部のトリを務めた際には、木久扇ラーメンのキッチンカーを出店
今年5月3日に東京・浅草演芸ホールの昼の部のトリを務めた際には、木久扇ラーメンのキッチンカーを出店

<取材・文/渡邉寧久>

わたなべ・ねいきゅう 演芸評論家・エンタメライター。『夕刊フジ』、『東京新聞』などにコラム連載中。文化庁芸術選奨、『浅草芸能大賞』選考委員、花形演芸大賞審査員等歴任。『江戸まちたいとう芸楽祭』実行委員長。