目次
Page 1
ー 作家・歌川たいじさんを襲った大病
Page 2
ー 家族というものが「原風景にない」幼少期
Page 3
ー たった1人の味方“ばあちゃん”の存在 ー いじめ、虐待、退学、家出先にある希望ー
Page 4
ー ばあちゃんの消息 ー 初めてできた仲間は宝のコトバをくれた
Page 5
ー 生涯の友との出会い
Page 6
ー リクルートのトップ営業マンへ ー “ほぼ夫婦”として25年、共に暮らすパートナー
Page 7
ー 恩讐の彼方に母とのけじめ
Page 8
ー 今、苦しんでいる子どもたちに

「三途の川まで行った感じがあったけど、ICUのナースがめっちゃイケメンで。“死んでる場合じゃない!”って」

 そう言って大笑いするのは、漫画や小説などの執筆業で多くのファンを持つ歌川たいじさん(58)。ゲイであることをカミングアウトし、40代で漫画家デビュー。パートナーとの日々をコミカルに描くブログ『♂♂ゲイです、ほぼ夫婦です』は1日10万アクセスを記録し、絶賛更新中だ。

作家・歌川たいじさんを襲った大病

過去の出来事を明るく話す歌川さん。どんなエピソードも面白くオチをつけることを忘れない歌川さんの周囲には人が集まる
過去の出来事を明るく話す歌川さん。どんなエピソードも面白くオチをつけることを忘れない歌川さんの周囲には人が集まる

 そんな彼を昨年、大動脈解離という大病が襲った。日曜の夜、自宅で作業していると突然、胸のあたりで“プチン”、それに続いて“ジョワン”という音がしたという。

「これはヤバいってすぐ気づいたので、激痛のなかで自分で救急車を呼んだんです」

 そのときトイレに入っていた、同居しているパートナーのツレちゃんが振り返る。「助けて」と呼ぶ声が聞こえて出ていくと、胸を押さえて床に転がっている歌川さんがいたという。

「保険証とか、必要なものを手に持って“救急車はもう呼んだから”って言って。でも、これ言うとみんな笑うんですけど、若い男性の救急隊の方が来たら、それまですごく痛そうだったのに、品定めするような目でしばらく見てました(笑)」(ツレちゃん)

 そして病院に到着するも、そこでは手術ができず、近辺の病院も軒並みNG。発症後すぐに危険な状態となり、1時間たつごとに10%ずつ致死率が上がるといわれている病気だけに、歌川さんも“もうダメかもしれない”と思ったという。

「でもそうなると、意外と腹が据わっちゃうものなのよ。で、“ああ、PCだけは小渕優子みたいにドリルで消しておきたかったけど、それはもう無理なのか”とか考えてました」(歌川さん)

 なんとか病院が見つかり、7時間に及ぶ大手術の末、無事生還。冒頭の言葉のように、麻酔からさめてイケメンナースとご対面、となった。

「僕はブタじゃない」この言葉が歌川さんの人生を変えた著=歌川たいじ『母さんがどんなに僕を嫌いでも』(KADOKAWA)
「僕はブタじゃない」この言葉が歌川さんの人生を変えた著=歌川たいじ『母さんがどんなに僕を嫌いでも』(KADOKAWA)

 こんな生死に関わる体験でも、カラッと明るい。周りの人すべてを笑顔にするその姿は、究極の陽キャに見える。だが実は、幼少~少年期に壮絶な虐待を受けた、虐待サバイバー。その体験を綴った、'13年発表のコミックエッセイ『母さんがどんなに僕を嫌いでも』は大きな反響を呼び、'18年には仲野太賀主演で映画化もされた。老若男女、セクシュアリティーを問わず多くの人々から支持される歌川さんが、現在、力を注いでいるのは講演。“逆境力”をテーマに、全国で自身の体験と、そこから得た知見などを語っている。

「いろんなことがあるから、凹むのはしょうがない。じゃあどうやって元に戻って、より強い自分になるか。そんな話をさせていただいてます。若者の聴講者の中には、今、実際に虐待やいじめを受けている子もいて。みんな、真剣に聞いてくれるんです。“南の島でもどこでもとにかく逃げて”みたいな無責任なことを言う大人もいるけど、私、頭にきちゃうんですよ。

 子どもが南の島なんか行けるか、って。逃げる場所は大人がつくらなきゃダメ。子どもができることは、『子供SOSダイヤル』とかに電話して大人につなげることくらいよ。大人じゃなきゃ解決できませんから。中学生なんか、まだ無力。でもあと4年たったら親から逃げられるから、とにかく生きなさい、という話をしたりしています

 時には、子どもの虐待について学びたいと、中学生が訪ねてくることもある。そのときも、「絶対断らないで熱を込めて語る」という歌川さん。それは、今も脳内に“あの日の母”がいるからこそ、と。現在、58歳の彼は、どのようにして過酷な日々を乗り越え、強さと幸せをつかんだのか。