膳場家の近隣住民の評判
町の人々も膳場家のことはよく知っている。
「このあたりでは、昔ながらの大地主として有名です。以前は、膳場アナのご実家の1本裏の道路から入ったところに大豪邸が立っていたんです。そこが本家。膳場アナのおじいさんの家ですね。膳場さん一家は、本家から道を挟んだところにありました。25年前におじいさんが亡くなった際に本家部分は持ち分を分けて相続され、外国人向けの住宅地になりました。膳場アナのご実家や周りにもたくさん土地があったのですが、それらを相続するには莫大なお金が必要となり、物納したそうですよ」(世田谷の住民)
町には“膳場玩具店”や“膳場青果店”といった店もあったらしいが……。
「玩具屋さんや青果店は、膳場アナとは関係ないですね。遠い親戚かもしれませんが。膳場アナの父親が住んでいた家には、以前は国会議員さんが住んでいて、いつも警察官が家の前に立っていました。膳場アナの祖父が貸していたんですね。ただ、あの一家は大地主さんですから、われわれのような一般人とはあまり付き合いはなかったんですよ」(同・住民)
膳場家は、やはり特別な存在だったようで、周りとの交流はあまりなかったようだ。
「膳場アナの実家があることは知っていたけど、意識するようになったのは、彼女が有名になってからですね。何度か見たくらいなので、詳しくは知らないです。女子校御三家といわれる名門中高から東大に行ったことくらいはわかりますが、いずれも有名になってから知ったのよ」(世田谷に住む別の住民)
商社マンだった父の仕事の関係で、一家はドイツで暮らしていたことも。
「膳場アナのお父さんはドイツ勤務の後、帰国して社長室にいました。人当たりがよくて、退職後もOBの集まりでは、手品を披露していましたよ。近所でも付き合いのある人には気軽に声をかけていました。でも、10年くらい前から介護施設に入ったそうです」(商社の元同僚)
膳場がドイツから帰国したのは7歳のとき。
「日本の学校になじめず、イジメにあったそうです。それで仕方なく隣の学校に転校しましたから、ごく近所の人は子ども時代の彼女を知らないのでしょうね」(前出・世田谷の住民)
膳場の母親が娘について話すのを聞いた人がいた。