卵巣嚢腫で片方の卵巣を、がんで子宮を摘出
高校の講師を辞めても、教育分野には興味を持ち続けていた南谷さん。
予備校の職員に転職したのが24歳のときだ。新しい職場で心機一転、頑張ろうと思っていた矢先、病気で苦しむことになる。
「もともと病気がちで、小学校のときも腎臓病で入退院を繰り返していましたが、このとき新たに見つかったのが卵巣嚢腫でした」
卵巣嚢腫は悪性ではないが、痛みや不正出血を伴い、会社を休むことも多くなったという。
「あまりの痛みで片方の卵巣を手術で摘出しましたが、もう片方にも嚢腫があり、こちらも翌年に半分摘出しました。卵巣の全摘を避けたのは、妊娠する可能性を残すためです」
そのころ、南谷さんはのちに夫となる相手と交際をしていた。妊娠できる可能性があるとはいえ、「卵巣の病気だから子どもを持つのは難しいと思う」と彼には伝えていたという。
「彼は『子どもをつくるために結婚するのではない』『子どもがいないなりの生活がある』と言ってくれました。でも私は女性としての自信をなくし、こんな私と結婚するなんて申し訳ないという気持ちでいっぱいだったのです」
なんとか妊娠できる身体にしようと、高い漢方薬を飲んだり、整体に行ったり、保険のきかない高額な治療もたくさん試した。しかし、今度は子宮筋腫が大きくなり、大量出血に見舞われた。
「ナプキンを2枚、3枚重ねても間に合わないくらいの出血量で、それが毎日続くのです。当然、貧血になって、日常生活にはかなりの支障がありました。生きるための造血剤は心臓が苦しくなって、息ができなくなり、もう限界でした」
さらに子宮に初期のがんも見つかり、南谷さんは子宮全摘をせざるを得なくなる。30歳のときだった。
「手術をすれば出血もなくなり身体はラクになりますが、子宮を摘出したら妊娠は不可能です。5月に結婚式をして、子宮全摘の手術をしたのが9月でした。本来なら結婚して幸せなはずが、夫との関係もぎくしゃくし、人生で最もどん底の時期でした。ひとりっ子だったので、親に孫を抱かせてあげられないのも悲しかったです」
手術の際、南谷さんが入院したのは2人部屋で、もう一人の患者さんも同じ病気で子宮全摘手術を受ける人だった。
「その人は『子どもはいらない。夫も同じ意見で、将来は2人で山のふもとにホテルを開きたい』と言っていました。それから3年後にハガキが届いて、本当にホテルを開業されていたのです。
私はその行動力に触発され、自信をなくして落ち込んでいるだけではダメだ、自分も何かしなければいけないと思えるようになりました」
そんなとき、父親から「どんな方法でもいいから、代理母や養子でもいいじゃないか。子どもを持つことを考えてみたらどうだ」とアドバイスがあった。
「日本には特別養子縁組という制度があります。血はつながっていなくても、育ての親として子どもを迎えればいいんだと徐々に気持ちが前に向いていきました」