目次
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ー まずは1日5分から個別練習を開始
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ー 娘の相談にはポジティブな言葉で返すようにしている
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ー 娘の笑顔をなんとか間近で見届けたい

 開催が目前に迫ったパリ五輪。卓球女子シングルス代表として活躍を期待されるのが平野美宇選手だ。3歳のとき「どうしてもママの卓球教室に入りたい」と駄々をこねたときから21年。見守り続ける母、真理子さんが夢に向かって突き進む娘への思いを語る。

まずは1日5分から個別練習を開始

「私が卓球教室を開いたとき、娘たちに卓球をさせたいとは考えてなかったんです」

 そう語るのは、長女で卓球平野美宇選手をはじめとする三姉妹の母、真理子さん。当初、自宅の2階で卓球教室を開催していたが、教え子たちの邪魔にならないよう、小さな娘たちを練習場には入れなかった。

「3歳半のころ、美宇に『ママの卓球教室に入れて!』と、泣きながらせがまれたんです。それも2日続けて。教室のドアの前で、小学生が練習している音や声を聞いていたみたい。美宇はおとなしく、わがままを言ったり、駄々をこねることがなかったので驚きもありましたが、私たち夫婦が親しんできた卓球を『楽しそう』と思ってくれたことは素直にうれしかったです」(真理子さん、以下同)

 しかし、当時の生徒は皆、小学生以上。周りの子に迷惑をかけないよう、まずは1日5分から個別練習を開始した。

幼児に教えたことがなかったので最初、気づかなかったのですが、美宇には幼児らしからぬ集中力があって。2~3日も練習すれば飽きるだろうと考えていたのに、10分から15分、30分、1時間……と練習時間はどんどん延び、半年でラリーを30回以上続けられるように。これなら大丈夫と、4歳のころに教室への参加を『許可』しました

 親子で決めたルールは、卓球を教えている間は「先生」と呼ぶこと。一生徒として厳しく指導することもあった。

技術よりも挨拶や礼儀作法がなっていないときには、周りの子たち以上にキツく接しました。『親とコーチの二足の草鞋は大変』と思われがちですが、叱ったあとは家庭でゆっくりフォローできるので私にはやりやすかったです

 年上の小学生にも勝ちたい。そんな負けず嫌いの性格も功を奏して力をつけた美宇さんは、全国大会に次々と出場。実力はもちろん、負けると泣いて悔しがる姿が福原愛選手を彷彿とさせることから、“第二の愛ちゃん”と世間の注目を集めた。

「美宇は器用なタイプではないけど、折り紙やパズル、縄跳びなど、卓球に限らず『うまくなりたい』と思ったことは、死に物狂いで努力できる。子どもは集中力を鍛えることも大切なので、没頭しているときは、たとえ褒め言葉でも声をかけないように気をつけていましたね」

美宇さんが卓球を始めた3歳ごろ。背丈に比べて卓球台が高く、机を踏み台にしながら次々とボールを打ち返した
美宇さんが卓球を始めた3歳ごろ。背丈に比べて卓球台が高く、机を踏み台にしながら次々とボールを打ち返した

 小学校1年生のとき、小学2年生以下を対象にした全日本選手権バンビの部で優勝すると、「私の夢はオリンピックで金メダルを取ること」と宣言。またも真理子さんを驚かせた。

「控えめだけど頑固な美宇が、はっきりと主張したからには生半可な気持ちではないはず。世界で活躍するには、遅くとも中学校からは地元を離れた卓球強豪校に送り出さないといけない。親としては想像するだけで涙が止まりませんでした。でも、夢を実現できる環境を整えることが親の役目だと考えるのなら、私も美宇と離れる覚悟を持たないといけない。娘の進む道が見えた喜びと、一緒にいられない寂しさ、両方の気持ちがありました」