小学校の卒業式にて。想像するだけで涙があふれた娘の旅立ちだったが、いざ迎えたその日は、笑顔で新たな門出を祝福
小学校の卒業式にて。想像するだけで涙があふれた娘の旅立ちだったが、いざ迎えたその日は、笑顔で新たな門出を祝福
【写真】才能の片鱗が現れ始めた3歳の平野美宇選手

 そのころ、真理子さんもひそかにコーチとしての壁を感じていた。

「私は中学の部活動で卓球を始め、地区大会優勝が最高。全国大会なんて出たこともありません(笑)。それに、卓球のコーチとしてはそのころはまだ駆け出しで、世界一を見据えた卓球の指導など未知の世界ですから、手探りの毎日でした」

 確信が持てないときは、常に「今日できる精いっぱいのことを全力でやろう」と自分に言い聞かせていたという。

悩みながらも日々積み重ねて前に進み、もし間違っていたら方向転換すればいい。私の場合は教師の経験などを踏まえて、小学生の美宇にアドバイスをしていました。私はもともとネガティブ思考なのですが、子どもと向き合うなかで意識的にポジティブに考えるよう心がけてきました

娘の相談にはポジティブな言葉で返すようにしている

 小学校2年生で挑んだ全日本選手権ジュニアの部は、福原愛選手が持つ最年少勝利記録の更新に期待がかかる大一番となった。報道陣が集まるなか、いつもはカメラを気にしない美宇さんの緊張を、「SOSだ」と感じた真理子さんは、すかさず声をかけた。

「1ゲームごとにカメラの台数が増えていたので『カメラは美宇に期待して集まってくれているんだから、美宇の応援団だと思えばいいの。カメラが1台いたら1点ゲット、2台なら2点……もう、美宇が大量リードだね!』と伝えました。私自身は試合中、絶対こんな楽観的に捉えられませんけど、美宇は素直に受け入れてくれて見事に勝利しました。プレッシャーに打ち勝つ、わが子の強さを垣間見たな、と

 実は、真理子さんの夫は全日本選手権に出場経験もある卓球選手だった。しかし、平野さん夫婦は結婚時から、「親と子どもは別人格」というのが共通認識だったそう。

「親の夢や思いを押しつけず、子どもの意見や希望を大事にしたかったんです。娘たちも個性はバラバラで、3人を比べることはしませんでした。それぞれにいいところがあって、それぞれかわいい。下の2人も卓球はやりましたが、今は趣味。それでいいと思っています」

 中学進学を機に、ついに東京へ送り出すことが決まったときには、押し寄せる寂しさの一方で、親の役目を果たせた安堵のほうが大きかった。

LINEでつながっているけれど、美宇からの連絡はあまりなくて、入学後にようやくきたと思ったら、『ハンガー10本送って』でガックリ(笑)。私より、娘のほうがサクサク親離れに向かっていったようです

 だが、大事な試合の前など、精神状態が少し不安定になると連絡がくることも。

基本、美宇の話を受け止めたら、ポジティブな言葉で返すようにしています。落ち込んでいるときは、試合を見てよかったところを伝えてから課題点をアドバイスするように。メンタル面は、松岡修造さんやイチローさんなどの本を渡して支えました

 現在、平野家は真理子さんと三女は山梨県、夫と美宇さん、次女が東京近郊に住む“二拠点家族”。なかなか全員で顔を合わせる機会がない。

今は同じ曜日の同じ時間にビデオ通話を使った『リモート家族団らん』が習慣に。コロナ禍から始めたんですが皆、受け入れてくれて、美宇も合宿や遠征のとき以外は欠かさず参加してくれています

 美宇さんには、この夏、大舞台が待ち受ける。