宇宙では地球を見ながらの食事が気分転換に(画像提供:JAXA/NASA)
宇宙では地球を見ながらの食事が気分転換に(画像提供:JAXA/NASA)
【写真】宇宙では地球を見ながらの食事が気分転換になったという向井千秋さん

 応募者数は500人以上。書類選考や筆記試験、心理・体力検査などいくつもの試験を経て、1985年、33歳のときに「搭乗科学技術者」として宇宙飛行士に選ばれた。

「2年ほどアメリカに留学するくらいの気持ちでした。終わったらまた医師に戻ればいいと。でも、人生ってそれほど甘くないんですよね」

宇宙飛行士が決定後にチャレンジャー号の悲劇が

 向井さんら3人の日本人宇宙飛行士が決定したことで日本が宇宙ブームで沸き立ったわずか5か月後、スペースシャトル・チャレンジャー号の悲劇が起こる。乗組員7人は全員死亡。発射から73秒後に起きた空中爆発の様子は、テレビで繰り返し放送された。

「さすがにこのときは、医師に戻るべきか少し迷いました。でも、一度やると決めたことですから。宇宙開発分野に残ることにしたんです」

 衝撃的な事故を目の当たりにし、恐怖や躊躇はなかったのだろうか。

当時は、シャトルの打ち上げ400回ごとに1回は爆発のリスクがあるとされていました。普通の旅客機なら何万回に1回の確率でしょうから、それに比べれば当然リスクは高いです。でも宇宙での業務に限らず、どんなビジネスにだってリスクはあるでしょ? 人生で考えたら、何もしなくたって病気になることもあります。もともとそういう考えだったから、怖さはあまり感じませんでしたね

 この事故の影響で、スペースシャトルの事業計画は大きな見直しを迫られることに。打ち上げ再開の見通しがまったく立たないまま、ジョンソン宇宙センターに配属が決まった。

 渡航前には、慶應義塾大学病院の同僚医師である向井万紀男氏と結婚。日本とヒューストンでの別居婚生活があわただしく始まった。

本当に宇宙に行けるかどうかの不安より、期待のほうが大きかったです。だってオリンピックを目指すスポーツ選手だって、絶対に出場できる確約なんてないのに目標に向けて努力と準備をしているわけだから。それと同じです

 実際に向井さんがスペースシャトル・コロンビア号で宇宙へ旅立つことができたのは、それから9年後、42歳のときだった。15日間の宇宙滞在期間中は、分刻みで80以上のあらゆる実験をこなした。

 無重力空間で金属を溶かしたり、植物や生物の成長を観察したり、衛星通信の速度を検証したり。何年もかけ、地上の科学者たちとともに準備を進めてきた研究実験だ。

船内ではほとんど休みを取れなかったけど、地球を見ながら食事をするだけでも新鮮でした。夜になると、空気がないから星がとてもきれいに見えるんです。でもいちばん印象的だったのは、実は地球に帰還したあとに感じた重力の強さ。自分の手すら重くてたまらないし、物が地面に落下する速さも本当に不思議で。宇宙に行かないと絶対に味わえない感覚でしたね