映画やドラマを見たり、人の話を聞いたり“言葉に出会う”ことが好きと話す。学び直しの原点もまさにそこにあるという。

「書いて死にたい」という思いが強くあった

「40歳を過ぎたころ、このまま年を重ねていって子どもも巣立ち、夫婦2人になったらどうするんだろう、と漠然と不安になったんです。最終的に“私”という人間がどうなっていたいか考えたときに、歌も歌っていたいけど、何かを書いていたい、書いて死にたいという思いが強くあって。ちゃんと書くことを学ぶために大学に入ったところもあります。書くことは70歳でも、80や90歳になってもできますから」

 学べば学ぶほど、枝葉が伸びるように探求心が深まると相川さん。実は、大学では神道学専攻であったが、大学院で民俗学へと専攻学科を変更している。

「神道の政(祭り事)を学びたい、地域に生かしたいといった思いがあったのですが、それって、人がつくっているわけですよね。ということは、その地域それぞれの民族的特徴があって、それを生かした伝承でなければさらに根づいていかないわけですよ。

 一つを学べば、違う角度からも学びたくなるし、さらに出会いも広がる。それが刺激的です。新しく何かを始めたいなら急がなきゃって。だって、今が一番若いわけだから。人生は長い。やりたいことは今始めればいいんですよね

 とにかく多忙な相川さんにとって、お子さんの存在は大きな支えとなっている。

子どもたち3人は6歳ずつ年が離れているんですけど、成長して自分でできることが増えたのでずいぶん助けられています。前は“ごはんまだー?”って待ってるだけだったのが、“ママ、今日はごはん作れない”なんて日には“じゃあなんか作るよ”って焼きそばを作ってくれたり、たまった洗濯物を畳んでくれたり。自分がいつまでもやってあげなきゃ、って思っていたのが、いつの間にかお世話されていて……。ありがたい存在です

 順調な子育ての様子がうかがえるが、苦労したことはなかったのだろうか。

年が離れてるからか、そんなに激しいケンカもしないし、とても仲がいいんです。上2人が男の子で、下が女の子なんですが、長女がいちばん強くて、上2人が長女の機嫌をとってる感じ(笑)。思春期や反抗期ももちろんあったんですけど、凄まじいほどではなくて

 相川さんの10代を振り返るとむしろおとなしいくらいだという。

私自身が当時、凄まじい反抗期で、家出も何回もしたし、反抗的なこともしたので(笑)。今思えば、私が反抗してたのは、母親に自分の気持ちを理解してもらえなかったフラストレーションがあったから。だから子どもがそうなったときは、徹底的に話し合うことにしています

 自分のころと比べると、子どもたちはとても大人だと笑う相川さん。

ちょこちょこ反抗的なときもありますけど、“わかるよその気持ち、私も同じことをお母さんにやったから”って思えるんですよね