また瀬角先生は、家族間での思いを伝えるためのきっかけもつくってくれた。

「状態が悪くなってきた時の訪問診療の日、先生から『悔いのないように思いを伝えてください。あと数日しか意識がしっかりしている時はないかもしれない』と言われて。妻にも『おうちの人に伝えたいことをしっかり話してね』と言ってくれていたみたいで。

 妻は苦しみながらも力を振り絞って『迷惑かけてごめんね、いつも親切にやってくれてありがとう』『こんな優しいお父さんはどこ探してもいない』と。そんな妻に僕は『ありがとね。手料理おいしかったよ。あまりおいしいって言ってなかった。ごめんね』と、これまで言葉にしてこなかった感謝の気持ちを伝えました」(浩徳さん、以下同)

立てなくなるギリギリまで料理を作っていた

 伊鈴さんは、見舞いに訪れた母や兄、友人一人ひとりにも、懸命に感謝を伝えた。

僕はありがとうって言葉を言ってしまったら、最期であることを認めてしまうようで怖くて言えずにいました。先生のひと言がなければ、互いにきちんと気持ちを伝えきれていなかったかもしれない。だからそういう機会を与えてもらって、話ができて本当によかったと思っています

 亡くなる前日、診察に来た先生が帰り支度を始めると、伊鈴さんから「あと生きられるのどのくらい?」と問いかけがあった。

3日くらいかな、と正直に答えました。三嶋さんのご家族もそうでしたが、本人に余命を伝えられず、言わないご家族も多い。でもそれでは悔いを残してしまう。だからご家族と相談の上で、本人にも残り時間を伝え、家族で気持ちを言い合えるきっかけをつくれたらと」(瀬角先生)

 先生が帰ったあと、伊鈴さんは息はあるものの返事をしなくなり、浩徳さんと優華さんはリビングにある伊鈴さんのベッドのそばに布団を敷いて寝た。翌朝も呼吸はあったが、コーヒーを入れているほんの少しの間に、伊鈴さんは静かに息を引き取った。

 亡くなる少し前、優華さんが探し物を見つけるために伊鈴さんのバッグの中を見ると、手書きのレシピノートと闘病記を見つけた。

この時、妻はもうほとんど会話ができなくなっていたので、詳しいことはわからないのですが、2018年の最初に入院した際の闘病記に『優華が三色丼作るから、レシピ教えてと言うので、紙に書いたら時間つぶしになった』とあり、その時に書いたんだとわかりました。子どもたちはいつも、妻の手料理をおいしい、おいしいと食べていましたから、優華はレシピを知りたかったんですね」(浩徳さん、以下同)

 在宅医療になった後も伊鈴さんはレシピを書き続けていたかもしれない、と浩徳さん。

妻が体調を崩してから優華が料理を一手に引き受けることになって、三色丼以外にも作れるようにレシピが欲しいと言ったことがあって。ただ何より、子どもたちを案じてノートを遺したのだと思います。闘病記には、自分が亡くなった後の家族が心配でたまらないと書いてありましたから。最後の1か月も『台所は自分の居場所』と言って、立てなくなるギリギリまで料理を作っていました

 レシピは三色丼のほか、手まりシューマイ、タコライスなど全部で10品ほど。どれも家族がおいしいと言ったメニューばかりだった。また、ノートには「お父さんには納豆のカラシを付けて」など、家族ならではのアドバイスもちりばめられていた。

 伊鈴さんの思いが詰まったレシピノートは、優華さんと健渡くんに受け継がれ、伊鈴さんが亡くなったのちに何度も作り、食卓に並べている。

優華は自分で料理を作るようになってから、もっとお母さんの手伝いをしておけばよかったと言って、母の大変さが身にしみているようです。でもレシピノートがあるから母の味がいつでも再現できてうれしいと。市販のレシピには当たり外れがあるけれど、母のレシピはどれも家族が好きな料理で全部おいしいと言っています。私も、家族3人で妻の味を食べられるのは本当にありがたいなと思っています。手書きの文字を見ると泣けてきますが……

 コロナのパンデミックを経験した今、最後の時間を自宅で過ごす選択をする人は増えつつある。肉体的、精神的に家族の負担が増えることは確かだが、最期まで一緒にいたいと願う患者と家族にとって、自宅での時間は何ものにも代えがたいと浩徳さん。

僕らはそうせざるを得ない状況で在宅医療を選択しましたが、本人と家族が最期を自宅で迎えたいと思うなら、家での看取りという選択肢も視野に入れていいと思います。在宅医療といわれてもよくわからないし、不安を感じるという方は多いと思いますが、医師や看護師さんがしっかりサポートしてくれます。日に日に弱っていく姿を見るのはつらいことですが、最期まで顔を見ながら話をして、一緒に過ごせたことは何にも代えがたいことでした

 伊鈴さんが遺した家族への感謝の言葉とレシピノートは、今も家族の心を照らし続けている。

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長野放送のニュース番組『NBS みんなの信州』で大反響を呼んだ、三嶋家の自宅での看取りに密着したドキュメンタリーを書籍化。「余命わずか」を宣告された三嶋伊鈴さんが家族のために遺した、一冊のレシピノートに込めた思いに迫る。


 取材・文/井上真規子