人を肩書で見ない懐の深さ

2010年、東尾理子との披露宴でのひとコマ
2010年、東尾理子との披露宴でのひとコマ
【写真】バブル期を駆け抜けた、デビュー当時の石田純一

 石田の口から人に対する恨み節はまったく出てこない。周辺を取材しても、誰からも彼を非難する話は出てこない。

 石田の著書『落ちこぼれのススメ』(光進社)の担当編集者がこんなことを打ち明けた。

「この本が出たのが2000年3月なんですけど、たしかバッシングを受けて収入が激減したときでした。このころの石田さんは、傾きかけた中古のベンツSクラスに乗っていました。それがその後、アストンマーチンやフェラーリになって、石田さん車好きだから、こんないい車また買えるようになってよかったなあって思いました。とにかく男女分け隔てなく優しい人です。石田さん、サウナ好きだから仕事の打ち合わせをサウナルームでやったこともあったんですが、1時間で僕が倒れました(笑)」

 石田の3番目の妻になるのは、プロゴルファーの東尾理子だった。

 子どもが3人誕生した。

 週刊文春専属記者時代、数々のスクープをものにしてきたジャーナリストの中村竜太郎氏が語る。

「週刊誌記者というのは芸能人とか著名人から嫌われる立場なんですよ。私が独立して以降、いろんな番組で石田純一さんと共演する機会がたくさんありまして。まず嫌われてても仕方がないだろうなっていう先入観があったんですよね。

 楽屋でご挨拶するときに、トントンと、ノックをすると石田さん、あのまま屈託がないんですよ。石田さんは、人を肩書とかで見ない。懐の深さっていうのを直感的に感じました。本当にフレンドリーに接してくれる。誰に対しても真摯に向き合うっていうのが石田さんらしいなと思いますよね。

 マスコミの人間って、ゲスだのマスゴミだのなんだのと言われてとにかく嫌われがちですし、思いっきり邪険な態度を取られることも日常茶飯事です。でも、いつでもちゃんと対応してくれる人が芸能界に2人います。石田さんと明石家さんまさん」(中村氏)

もう売れるものはほとんど売ってしまった

1992年、長男のいしだ壱成とともに
1992年、長男のいしだ壱成とともに

 愛される男・石田純一。だが、何度も仕事を失う憂き目を味わっている。

 直近だと、コロナ禍のなか、沖縄で仕事をしていたところを批判され、契約していたCM、仕事を失った。借金だけが残った。

「もう売れるものはほとんど売っちゃいました、家も売ったし車も売ったし。靴だとかバッグだとか、ほぼ全部」

 理子夫人との間の子どもたち3人は幼く、まだまだ養育費がかかる。そこで、東京の自宅から少々離れた千葉県船橋市で、焼き肉店「炭火焼肉ジュンチャン」を始めた。ほぼ毎日出勤しており、客相手に飲酒もするため、通勤は電車だという。

「『石田さんが(飲食店を)経営するなら麻布とか六本木じゃないの?』なんて言われますが、都心は維持費が大変でしょう。(船橋に)ちょうどいい物件があると紹介されて。なりふりかまっていられないですからね」

 松原千明さんとの間にできた長女で、女優・歌手のすみれが父・純一を語る。

「ハワイに住む前に、お風呂にパパと一緒に入っていた思い出があります。小さいころは、普通の家族みたいにいつも一緒にいられたわけではないので、パパに対して不満や怒っていた点もあったんですけれども、やっぱり家族は家族ですから。

 パパはとにかく優しい人で、あまり怒らない。のほほんとしてて、ふわーんとしてて、ちょっとマイペースで、自分の世界を持っている人。本当に裏表がない。たぶん、どこに行っても誰と話していても同じ、平等な接し方をするから、あんなに優しい、優しいってみんなに言われるんだろうなと思います」

 石田はすみれに「私たちの子育てをちゃんとしてこなかった分、今回はしっかりやってね」と言われた、という。

「理子ちゃん(現在の石田夫人)は、私にとって義理の母だけど、そんなに年も離れてないからお姉ちゃんみたいな感じで、頼もしい。信頼できるお姉ちゃんができてすごくうれしいです。パパは70歳とは思えないぐらい、パワフルなので、100歳まで生きて、理汰郎(理子夫人との間にできた長男)たちの成人を見届けてほしいですね」すみれ

 日焼けが印象的な石田。スポンサーとのゴルフのたまもの……かと思いきや、「理汰郎の野球の練習に付き合っているから」だという。すみれの願いは届いているようだ。