佳子さまとの微笑ましいエピソード

障害者のダンス大会「ドレミファダンスコンサート」を鑑賞。『マツケンサンバ』の曲に合わせてポンポンを振る佳子さま(2024年6月16日)
障害者のダンス大会「ドレミファダンスコンサート」を鑑賞。『マツケンサンバ』の曲に合わせてポンポンを振る佳子さま(2024年6月16日)
【写真】学生時代の佳子さま、割れた腹筋が見える衣装でダンスを踊ることも

 このときの記者会見で、秋篠宮さまは、佳子さまとのこんな微笑ましいエピソードも披露した。

「(佳子さまが)だんだん年齢が高くなるにつれて、(略)いろいろと親と口論になる機会も多くなってきました。私とちょっと性格も似ているところがあるので余計そうなのかもしれないのですけれども。

 以前は、口論になると、私自身も、長女が言っていたように導火線が短い人間なものですから、かなり激しい口論、応酬になったのですけれども、こちらもだんだん年を取ってきて、的を射たことを指摘してくれていることが意外と多いということがわかりました」

 この記者会見の20日ほど後に開かれた成年に際しての会見で、父親の発言を受けて佳子さまは次のように述べ、笑いを誘っている。

「私の性格についてですが、長所は自分ではあまり思いつきません。短所は、父と同じように導火線が短いところがありまして、家の中ではささいなことで口論になってしまうこともございます」

「そうですね、結構日常的によく口論になってしまいますし、私がさまざまなことを指摘してしまうこともよくございます」

 1991年2月、私は秋篠宮さまと初めて会ったが、それ以来、個人的な付き合いは33年になる。プライベートで、宮さまと会い始めた最初のころだった。秋篠宮さまが私に、「江森さん、木登りができないのは、きょうだいの中で私だけなんです」と、困惑したような表情で話したことがあった。実直な兄、天皇陛下に比べ、弟は自由奔放、やんちゃで活動的というイメージで語られることが多く、私も長年、そう信じてきた。それだけに、宮さまからのさりげないひと言には驚いた。

 このことがきっかけで、私は本当の秋篠宮さまの姿を正しく知り、微力ながら、広く、読者に正確に伝えようと心に決めた。自分で直接、見て、聞いて、感じたものしか信じない。常に、報道者としての原点に立ち返ることの大切さを、秋篠宮さまのこの発言で教えられた気がする。

「小さいときは静かな女の子」というエピソードではないが、佳子さまの実像や素顔を私たちはまだ知らない。この連載を通じて、しっかり伝えることができればと考えている。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など