「生きている限り、夢や希望、そして恋を諦めない。元気やファイトを皆さんに伝えるためにキャンペーン活動をしています。ぜひ皆さんの街にもお店にも呼んでください。最低保証をしてくれたら、どこでも歌いに行きます」(清水さん) 撮影/北村史成
「生きている限り、夢や希望、そして恋を諦めない。元気やファイトを皆さんに伝えるためにキャンペーン活動をしています。ぜひ皆さんの街にもお店にも呼んでください。最低保証をしてくれたら、どこでも歌いに行きます」(清水さん) 撮影/北村史成
【写真】清水よりギャラが高かった、くぅ〜ちゃん

 紆余曲折の人生─。たしかに、清水さんが口にすると説得力を帯びる。前述したように、清水さんは1973年にレコードデビューを果たす。同年、NHK連続テレビ小説『北の家族』に準主役として抜擢されると、その名は全国区に。

アイフルのCMは“くぅ~ちゃん”の方がギャラが高かった

 その後、『白い巨塔』(フジテレビ系)や『噂の刑事トミーとマツ』(TBS系)といった人気ドラマに出演するなど、俳優として着実にキャリアを重ねていく。

 59歳のとき、ベテラン俳優となった清水さんの状況を一変させる出来事が起こる。“くぅ~ちゃん”との出会いである。

「実は、あのCMに出演する候補犬は、チワワの“くぅ~ちゃん”を含めて7匹いたんです。『清水さんが選んでください』と言われ、どの犬がいいかなと見つめていたところ、チワワのウルウルした目を見て、『この子にしよう』と。CMの中で、“くぅ~ちゃん”と見つめ合うわけですが、全然懐いてくれなくて……30~40回くらいテイクを重ねました(笑)」

 もともと犬好きだったという清水さんは、CM撮影の少し前、1匹のポメラニアンと出会う。

「殺処分を控えている子でした。私が引き取ることを伝えると、ポメラニアンにも伝わったのかたちまち元気になって。しばらくして、『アイフル』のCM撮影があって、放送されるとものすごい反響。この年は何かとワンちゃんと縁がある1年でした。ポメラニアンが恩返しした? それはわからないけど、僕自身、もっと犬が好きになったのは間違いない(笑)」

 CMの影響はすさまじく、チワワの人気は爆発。街中では、チワワを連れ歩く人が急増し、“バッグから顔を出すチワワ”といった今に続く光景をつくり出した。

CMは4年間続きましたが、“くぅ~ちゃん”人気がすごくて、いつも僕よりギャラが高かった」

 と笑うが、清水さん自身も、『エステティックTBC』のCMでナオミ・キャンベルと共演するなど誰もが知る存在となった。順風満帆のはずだった。ところが、

63歳のときに脳梗塞を患うと、俳優としての仕事に自信を失いました。そうなると悪循環ですよね。仕事もうまくいかない、家族との関係もうまくいかない。家庭内別居のような状況が続いていた

 輪をかけるように、妻とその前夫との子が、週刊誌上で「長年にわたって暴力を受けていた」と告白。DV疑惑をかけられた清水さんは、より孤立した。

反論したいことは山ほどあります。DVなんてしていません。妻の子どもは、彼女が3歳のときに共に暮らすようになった。その後、妻との間に2人の子どもを授かりますが、僕はむしろ実子を厳しく育てたくらいです

 離婚が成立すると、妻の態度は豹変したという。埼玉県本庄市にあった自宅は差し押さえられ、家もお金もなくなった。

子どもたちに生前贈与もしたのに。絶望しましたよ。遺書を書き、睡眠導入剤を40錠ほど飲みました

 家族が発見し、一命を取り留めるも帰る場所はない。別の町へ引っ越し、生活保護を受けながら6畳一間でトイレ・風呂共同、お湯の出ないアパートで暮らした。睡眠導入剤を飲むことが癖になり、その後、自殺未遂を2度繰り返したという。

医師からは、『もうやめてください。4度目は命の保証ができない』と言われた。『わかりました』と答えたものの、本心は『またやるだろうな』と思っていた。だって、生きている意味がわからないんですから