探偵を雇い探し続ける日々

テレビ番組にレギュラー出演中の藤元さん(右)を称賛する枡野さん
テレビ番組にレギュラー出演中の藤元さん(右)を称賛する枡野さん
【写真】警察官に職務質問されている様子の枡野浩一さん

 何もできないまま歳月が流れた。血縁関係はない上の子が通っている小学校に顔を出したことがあったが、引っ越したと嘘をつかれた。

「探偵を雇ったりもしたんです。わかったことは新しい旦那さんの持ち家にみんなで住んでいたようです」

 その後も「子どもに会いたい」という希望を持ち続けた枡野さん。リアルタイムで息子への思いをつづった作品は「女々しい」「ストーカー」などと批判を受けたことも。それでも枡野さんは、息子の名前のネット検索を続け、16歳になる彼のものと思わしきTwitterのアカウントを見つけた。

「2年くらい見守っていたんです。でも息子の誕生日になったとき、たまらずに『おめでとう』とメッセージを送りました。そうしたら返事が来たんです。ただ、僕が『会いたい』とか『一緒にごはん食べたい』とか送ると、返事が来なくなる。

 息子としては、僕と敵対もしていないけど、会う気はないんだろうな、と思いましたね。ただ、将棋の棋士を目指していた当時の息子に『君に最初に将棋を教えたのはうちの父なんだよ』と。それだけは伝えたくて」

 前出の藤井さんは、枡野さんとの付き合いは30年になるが、結婚していた時期は会っていなかった。

「再会したのは共通の知り合いのAV監督の結婚パーティー。すでに離婚していて、会った瞬間に『子どもに会えていないんです』と嘆いていた。俺は枡野が一番幸せな時期だけを知らない。不幸や不遇といえる時代が中心の付き合い。でもそれこそが彼の短歌の本質ではないか」

 枡野さんは悩みや心配事を抱えると悪夢としてそれが現れるという。

「未婚時代は、高校を卒業できないという夢をよく見ていました。離婚してからは、夢の中では息子を抱いていたら崖にいたり、元奥さんが許してくれていたりする。幸せな夢を見たときは現実がよりつらくて。離婚の悪夢時代が長かったのですが、新しい悪夢を見るようになったんです」

自殺を考えた日々に出合った「お笑い」

テレビCMに、加藤あいに短歌を教える歌人として登場したことも
テレビCMに、加藤あいに短歌を教える歌人として登場したことも

 藤井さんは落ち込んだ枡野さんの姿を見ていた。

「大きな本屋の短歌コーナーなのに枡野の著書がなかった。『枡野の歌集が置いていない。僕は歌人としてもう終わりかも。誰も枡野のことなんか必要としていない』と絶望的な顔をしていました」(藤井さん)

 安眠効果のある『ヤクルト1000』を飲むと、深くぐっすり眠れる分、悪夢をよく見るという枡野さん。

「実は10年前にソニー所属で芸人活動をしていたことがあったんです。きっと悔いが残っていたんでしょうね。その当時の夢ばかり見るようになったんです。ずっと離婚の悪夢ばかりを見ていたのに」

 歌人としては十分な知名度を誇っていたころだった。

自殺を考えたこともありました。直前に教科書に短歌が載ったし、本は売れていたけど、短歌界に居場所はない、子どもにも会えない、どん詰まりで夢も希望もない時期に元『ABブラザーズ』の松野大介さんが『お笑いライブを見にいかない?』と声をかけてくれたんです。

 そこには『アンドレ』という二人がいて、一人は後に『にゃんこスター』となるスーパー3助さんなんですけど。ドラムモノマネの達人とか、みんな個性的。面白くて、うらやましくなっちゃって。『こんなふうにお笑いじゃないものをお笑いにしている』と感動しました

 枡野さんの心に一筋の光を当てた「お笑い」。花見の最中に運命の啓示とも思える光景に出合い、心を決めた。

「その日は花見の予定だったんですが雨で中止になったんです。雨が一瞬やんだときに桜を見ていたら急に『短歌をお笑いにすればいいんじゃないか』と思いついたんです。そうしたら目の前の桜が急にキラキラと輝き始めたように見えて」

 来るもの拒まずという方針の事務所で、枡野さんはすぐに『ソニー』預かりの芸人となったが、人気投票では上がったり下がったり。まずはダンサーと組むが、相方が忙しくなってピンになり、別コンビを組み、最終的にトリオとなった。しかしソニー時代は失敗続きだったという。

「錦鯉さんとか僕たちトリオと3組くらいがライブに出て、僕たちが変にウケちゃった日があったり。ライブに出版関係者を呼んだら票が集まっちゃって。それはかなり顰蹙を買いましたね」