パンツ一丁の仕事でも、何でもやる!

現在も所属する事務所シグマ・セブンの設立当初、立ち上げメンバーと窪田さん(中央)
現在も所属する事務所シグマ・セブンの設立当初、立ち上げメンバーと窪田さん(中央)
【写真】「時代を感じる」電気シェーバーのCM収録で街頭インタビューをする窪田さん

 会社を辞めた2年後に24歳で結婚した。相手は会社の同僚で1歳年上。窪田さんが辞めるタイミングで一緒に住み始めたのだが、彼女はこんなふうに背中を押してくれた。

「好きなことをすればいい。ダメだったら私が食べさせてあげる」

 窪田さんはその言葉にすごく励まされたと感謝する。

「もし、ちゃんとしてくれなきゃ困るとか言われていたら、僕は弱いところもあるから、ふにゃふにゃになっていたかもしれない。だけど、なんとかなると言ってくれて、すごく気持ちが楽になりました。まあ、相手もいいかげんだったんでしょう(笑)」

 妻は結婚後も富士通で働いていたが、「妻を働かせて夫はフラフラしている」と思われるのが嫌で、結局、辞めてもらったという。

 いわば自ら退路を断ったわけだが、ナレーションの仕事が来るのは1週間に1度くらい。事務所からの電話を待つしかなく、「明日の仕事はなくなった」と一方的にキャンセルされることも。窪田さんは「わかりました。またよろしくお願いします」と言って静かに電話を切った瞬間に、「この野郎!」と悔しさを爆発させた。

 次の仕事につなげるため、来た依頼は断らなかった。

「パンツ一丁でやった仕事もあります(笑)。『裸一つで全部そろいます』というコンセプトの百貨店のCMで。広告代理店の新年会のゲスト呼び出し係とか、銀座祭りのパレードの案内とか、声じゃない仕事でも何でもやりました」

 そのころ、よく見ていたのは新聞の折り込み広告の求人情報。高度経済成長は終わりかけていたが、まだ働き口はいくらでもあり、「もし、今の仕事がダメでも会社勤めに戻ればいい」と考えると、不安が消し飛んだ。

 生活を支えるため友人が紹介してくれた印刷会社でアルバイトもした。テレビ局の収録で使うために印刷・製本した台本を運ぶ仕事だ。

 ある日、アルバイト先に大手広告代理店のラジオCMディレクターがやってきて、窪田さんは驚いた。ナレーター養成講座で講師をしていた男性で、この偶然の再会をきっかけに、レギュラーの仕事に抜擢してくれた。

「僕のことを『あいつ心臓に毛が生えているから何でもやるぞ』と言ってくださって、それから仕事が好転していったんです。僕はただ単に、人のご縁に恵まれたのと、運がよかったんですよ」

 その言葉を受けて筆者が「窪田さんのナレーションへの愛が、運を引き寄せたんじゃないですか」と感じたままを口にすると、窪田さんはハッとした顔をして、考え込んだ。

「そんなふうに考えたことなかったけど……、何のとりえもない僕がずっと続けることができたのは、そうか、ナレーションの神様が引き寄せてくれたのか……」