雅子さまの装いにお気遣い

両陛下の被災地再訪を後押しする要因ともなった長女の愛子さま('24年12月)
両陛下の被災地再訪を後押しする要因ともなった長女の愛子さま('24年12月)
【写真】12月17日、豪雨被害で避難生活を続ける地元住民と中腰でご懇談する両陛下

 また、象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院人文学研究科の河西秀哉准教授は、雅子さまの装いにお気遣いが感じられたと次のように話す。

「両陛下とも、服装をシックなトーンでそろえておられました。それだけでなく、雅子さまは羽田空港をご出発される際は真珠のイヤリングを着けておられたのですが、現地ではそれを外されていたのです。被災した方々の心情などを、常に切実に考えておられることが伝わりました」

 被災地で垣間見えた“国民と苦楽を共にする”という両陛下のスタンスは、上皇ご夫妻の時代から始まった。

「'91年6月、長崎県の雲仙・普賢岳で噴火災害が発生した際、当時天皇、皇后両陛下だった上皇ご夫妻は、噴火からわずか1か月後に被災地を訪れています。避難所では靴を脱ぎ、床に膝をついて、被災者と同じ目線で言葉を交わされたのです。今は皇室の方々がこうした姿勢で被災者と懇談される姿が定着していますが、当時は災害直後の被災地に両陛下が訪れるということ自体、考えられないことだったのです」(前出・皇室ジャーナリスト、以下同)

 上皇ご夫妻は、災害が発生すると、早いうちに現地を訪問するという姿勢を貫かれた。

「'11年3月、東日本大震災が発生した際も、3月末から岩手県や宮城県、福島県などの避難所を7週連続で訪問され、被災者に励ましの言葉をかけられました。『平成流』といわれた“苦難にある国民と共に歩む”ご夫妻の姿勢は両陛下にも受け継がれています」

 上皇ご夫妻と両陛下の被災地お見舞いには異なる点もあると前出の河西准教授が言う。

「上皇ご夫妻も両陛下もふたりおそろいで現地へ赴かれます。ただ、上皇ご夫妻は避難所では分かれて、それぞれで被災者に声をかけられることが多かったのです。一方、両陛下は必ずふたりおそろいで被災者と懇談されます。

 これは“困難にある人々にふたりで寄り添っていきたい”というご意思の表れだと拝察いたします。また、'04年に適応障害を公表され、いまだ回復の途上にある雅子さまを、陛下が気にかけておられるという側面もあるでしょう」