全日本女子プロレスに入団するとテスト生は全員が寮生活に。今の時代は栄養士がカロリー計算をしてくれたり、バランスのいい食事を作ってくれたりするが、当時はそんな恵まれた環境ではなく、
「お米だけは会社から支給されて、あとは自分たちで作ったりするんですが、あんまりしなかったですね。だから、いつもお腹がすいていましたしお金もなくて外食もできませんでした」
ホームシックにもかかった。
「毎日帰りたかったです。練習はつらいし、先が見えず自分はこの先どうなるんだろう、って不安でした」
入団半年後にプロテストがあったのだが、不合格。それから1か月後の2回目も不合格。3回目でやっと合格したが補欠だった。柔道も習い、ストリートファイトで実戦経験も積んだのに、プロの道は厳しかった。
「落ちこぼれでした。スパーリングは一番強かったけど、腕立て伏せとか腹筋とかの基礎体力がまるっきりダメ」
試合は毎日のように組まれた。当然ケガも多くなる。
「試合を休むと代わりに下の選手が入ってしまい、次がなくなっちゃうんです。当時はみんな引きずり下ろし合いでした。骨折でもヒビでも我慢してやっていました」
病院で治療してギプスをはめて帰ってくると、
「会長が“こんなのをつけていたらいつまでも治らない”と、トンカチで割ってしまうんです。痛いと言っても“我慢すればいいんだ”って」