そこから幕末を舞台にした「佐幕派(会津藩)vs倒幕派(長州藩)」の構図が生まれてきたとも話す。企画もユニークで、脚本も面白いと評価されたものの、自主映画では時代劇を作るなど、不可能に決まっている。
そう諦めかけていた矢先、思わぬところから救世主が現れた。その救い主こそ、東映京都にその人あり、と謳われ、傑作時代劇『水戸黄門』(TBS系)をはじめ、数々の時代劇を手がけてきた進藤盛延プロデューサーである。
「東映京都撮影所から呼ばれて行くと、進藤さんの部屋に案内された。すると進藤さんはじめ、美術部さんや衣装部さんたち、時代劇を支えてきたトップレベルの職人さんたちが勢ぞろいしていました。その人たちがホンが面白いから、やりたいと言ってくれたんです。もう涙が出そうになりました」
時代劇の撮影のない7月、8月なら、オープンセットを安く使える。さらに、美術や衣装の値段なども想像していた半分以下。映画屋の心意気がありがたかった。
それでも小さいマンションが買える金額。自主映画監督にとっては大金だ。
京都とカナダでの上映から奇跡が始まった
「僕は1500万円の貯金を全部つぎ込みスポーツカーを500万円で売り飛ばすと、国から補助金600万円をもらって2600万円の制作費を用意しました。
クランクアップのときには銀行の残高がわずか7000円。綱渡りに次ぐ綱渡り。本当にできあがるのか、撮影所の人たちもハラハラしながら見守っていました」
撮影所のスタッフをはじめ、多くの人たちに助けられ、なんとか完成にこぎつけた『侍タイムスリッパー』。
'23年、京都国際映画祭の特別招待作品として上映されると場内に響く笑い声、エンドロールを待たずに拍手が湧き起こった。
さらに安田監督は、『カナダ ファンタジア国際映画祭2024』に招待され、勇んでカナダに乗り込んだ。すると香港の大作娯楽映画を抑えて観客賞金賞を受賞。スタンディングオベーションに包まれ、その時「これはすごいことになる」と直感した。
これが自主映画の金字塔“カメ止め”に続く奇跡の幕開けとなった。