ところで新たな伝説をつくった『侍タイムスリッパー』の生みの親。安田淳一とは一体どんな人物なのか。

 京都府の南部、京都市と奈良市のほぼ中間に位置する城陽市で、安田は先祖代々の稲作農家に生まれた。大阪経済大学に在学中から映像制作を開始。これまで平安神宮などでの結婚式や幼稚園の発表会、イベントの演出などを幅広く手がける事業を一人で切り盛りしてきた。

ビデオ撮影の師匠から“カッコいい映像を撮るのではなく。お客様が喜ぶ映像を撮るのがプロ”と教わりました。この言葉を肝に銘じて仕事をしているうちに、6000人規模の大型イベントを仕切れるまでに仕事は大きくなりました」

一念発起して商業映画に挑戦

 その一方でショートムービーを撮り、小さな映画祭に出品するようになる。すると、

「やりたいことをやらなあかん」

 という気持ちがふつふつと湧き上がり、一念発起して商業映画にチャレンジする。

 '14年には現代的な犯罪に立ち向かう昭和のテレビヒーローをモチーフに描いた映画『拳銃と目玉焼』を公開。東京や大阪をはじめとする大都市のシネマ・コンプレックスのレイトショーで上映されるも、およそ750万円かかった制作費を回収することはできなかった。

映画『ごはん』のポスター(安田淳一監督・2017年公開)
映画『ごはん』のポスター(安田淳一監督・2017年公開)
【写真】米作りもお手のもの! 田植え機に乗る安田淳一監督

 それから3年。'17年には父の逝去により、30軒分の水田を預かる稲作農家を否応なしに継ぐことになった若い女性の奮闘ぶりを描いた映画『ごはん』を公開する。映画の評判は上々。シネコンのほかにも全国の公民館などで36か月以上公開され、400万円の制作費を回収することができた。

 しかし安田自身もまさか『ごはん』のような状況に自身が陥るとは予想していなかった。