中学3年生のとき初めて人前で音楽を披露
中学に入ると、久保田家は八王子へ。国立とは中央線で4駅しか離れていないが、まったく違う環境にカルチャーショックを受ける。
「アクセントがちょっと違ったようで、最初の挨拶で“気取ってんじゃねえよ”みたいなのがいきなりきて(笑)。あと、初めて“おめえ”と言われてびっくり。悪口ではなく、普通に“おまえ”が“おめえ”になるんです。これが八王子か!と大洗礼を受けました(笑)」
中1の1学期は新居完成前のため国立から登校していたが、2学期からは名実共に八王子っ子となり、クラスメートたちとも仲良くなっていく。
「水もおいしいし風情もあるし、ユーミンさんなど有名な方もたくさん出ていらっしゃっていて。すごく素敵な、私にとって第二の故郷になりました」
中学時代はニューミュージックやフォークソングなど、シンガー・ソングライターが活躍し始めた時期。周りの友達は吉田拓郎や赤い鳥、泉谷しげる、井上陽水、ガロなどをギターでコピーしていた。ピアノの稽古は小学校卒業時にやめていた久米さん、いっときギターに手を伸ばすが、自分はピアノのほうが自由に弾けると感じ、ギター譜をピアノにアレンジして楽しむようになる。
そんななか、中3のときに初めて人前で音楽を披露する機会が訪れた。バンドを組んでいた男友達から、「鍵盤、弾けるよな?」と誘われたのだ。ガロの『学生街の喫茶店』などヒット曲のコピーに加えて、久米さん作曲のオリジナル曲も演奏。「たいそうなものではなくて、教室での発表会ですよ」と謙遜するが、人生初ステージだ。
「アーティストの方々がオリジナル曲をやるようになったころで、“俺たちもやろうぜ”となったんです。女の子の友達が『地平線』というタイトルの詞を書いてきてくれて、私が曲をつけました」
久米さんにとって初めてのオリジナル曲。友達からの反応を尋ねると、「ヒット曲を聴くほうがうれしかっただろうから、覚えてないんじゃないかな」と笑いつつ、「大した曲じゃないけど、“俺たち、久保田の作曲でオリジナルをやったよな”って、仲間の心に少し残っていてくれたらいいなと思ってます」と。