コンテストへの応募は曲を聴いてもらいたいだけだった

 ちょっとアウトローな生徒ではあったが、高3のクリスマスから猛勉強。内部進学の合格ラインを突破して、'77年に共立女子短期大学へ入学する。クラブ活動は文芸部を選んだ。

「子どものころから文章を書くことが苦手で、作文の時間がすごくつらかったんです。曲を作っても詞が書けないから歌えなくて。入部したのは、言葉を紡げる人への憧れが大きかったのかなと思います」

 ここで久米さんは大きなものを得る。思ったことを気負わずに何でも書いてみればいいと、部の友人から教えられたのだ。

 それまで起承転結がうまく結べなければ書いてはいけないと思い込んでいたが、譜面は音を記憶するために書く。言葉も同じでいいと知ったのだ。そこから、ふと浮かんだ言葉たちを書きとめていくようになる。

 そんな青春真っ盛りな時期の久米さん、地元では絶世の美女と呼ばれていたらしい。前出の遠藤さんが、とっておきの秘話を教えてくれた。

「講座にいらした男性が終了後にこっそり話してくださったんです。同郷の方で、学生時代にみんなで隣の車両からのぞいてたって。先生は気づいていなかっただけでマドンナ的存在だったようです」

 そして短大1年のときに転機が訪れる。『ミス・セブンティーン・コンテスト』への応募だ。だが、タレントになりたかったわけではない。コンテストの名称は知らず、母が持ってきた新聞の切り抜きに書かれた“自作自演も可”の一文に惹きつけられたのだ。

「曲を作ってはいたけれど、中学の文化祭以来、誰にも聴かせていなかったので、誰かに聴いてもらいたかったんです。そして欲を言えば、いい曲だとか全然ダメだとか、何でもいいので評価してほしかった。家でマイクもなしにピアノの弾き語りを録音して、譜面と一緒に送りました」(久米さん、以下同)

 反応が返ってくるとは夢にも思っていなかったが、ある日、“ほかの曲はありますか?”とCBSソニーから連絡が来た。呼ばれた先は六本木のスタジオ。何曲か歌い、その後“一緒にやってみませんか?”と誘いの電話が。

「『デビューの約束はできないから申し訳ないけど、4年制の大学に行ったと考えて、私がいるソニーを大学だと思ってちょうだい』と声をかけてくださったんです」

 短大を2年で卒業してそのまま就職という人生もあるが、ほかの道を考えてもいいのかもしれない。しかも、自分の曲を面白いと言ってくれている。

「そんな人がこの先いるとは限らないし、これは出会いなのかなと思ったんです。『大学3年、4年をソニー大学で一緒に曲作りしたいです』とお答えして、それがスタートでした」

 こうして、短大に通いながら、できあがった曲の譜面をCBSソニーに持っていく日々が始まる。直しが入ることも多々あったが、「“話にならないからさよなら”じゃなかったのは励みになりました」と久米さん。