目次
Page 1
ー 実父が死去、養子縁組
Page 2
ー お金を持ち逃げしたマネージャーが…

 中森明菜が完全復活への歩みを加速させている。

 2025年4月、明菜は大分県で開催される野外音楽フェスに出演する予定だ。旧知の人物から誘われて出演を決めたとされるが、フェスを担当する地元テレビ局によれば、その人物とは小室哲哉だという。

 2月1日、小室はインスタグラムに《ジゴロックの出演を決めていただき“愛撫”やラテンなあの曲などを歌ってもらえそうです!》とコメントを記し、明菜とのツーショットを投稿した。

 小室は、1994年にリリースされた明菜の28枚目のシングル『愛撫』の作曲を担当。

 2017年のディナーショー以来、表舞台から姿を消していた明菜だが、今回の再始動で古くから付き合いのある小室との縁も復活したようだ。

 だが、どうしても回復しない縁がある。それこそが“中森家”との関係性だ。

実父が死去、養子縁組

 明菜が再生の道を歩む裏で、明菜の実父が死去していたこと、そして、明菜が現在の所属事務所の女性社長と養子縁組していたことが『週刊女性』の取材でわかった。

 明菜は、1995年に母親が亡くなってから、約30年間にわたって中森家との接触を断っている。

「その理由は、トップスターとなった明菜さんが稼いだお金を、家族が使い込んでいたことが原因だとされています」(スポーツ紙記者)

2025年1月、小室哲哉(右)と明菜のツーショット(小室哲哉のインスタグラムより)
2025年1月、小室哲哉(右)と明菜のツーショット(小室哲哉のインスタグラムより)

 かつてJR『清瀬』駅前に、明菜の母親が経営していたカラオケスナックがあった。明菜の人気も手伝って大繁盛。1987年には埼玉県内に地上3階建てのビルを建設。このビルで、父親や兄たちは飲食店を開業した。

 これらの開店資金などに、明菜のお金が使い込まれたと思っていたのだ。しかし、その疑惑について、明菜の3つ上の実兄は『週刊女性』の取材に、たびたび否定してきた。

「私もカラオケスナックで働いていましたが、税金対策として、当時の所属事務所から支援を受けて開業しました。給料も、お店の売上から、ごく普通の金額をもらっていただけ。

 埼玉県内に建てたビルも、土地はもともと父親が持っていました。建物自体は明菜のお金で建てましたが、父親が歌手として食べられなくなっても、明菜が生活できるようにと、心配して建てたのです。飲食店の開店資金には、父方の遺産をあてました」(明菜の実兄)

 その一方、明菜は家族について、こう語っていた。