ブラウン管越しに見ていたスターたちと共演
『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』など、音楽番組花盛りだった時代。ブラウン管越しに見ていたスターたちと共演し、優しく話しかけられても、居心地の悪さは消えない。ポルトガルのリスボンでアルバムをレコーディングしたり、ツアーで全国を回ったりと活躍を続けながらも、自信を持てないままでいた。
そんな中で考えるようになったのは、自分の音楽のルーツ。ユーミン、グループサウンズ、ビートルズ、歌謡曲、……好きな音楽をたどっていくと、最後に行き着いたのは賛美歌だった。“じゃあ久しぶりに教会へ行ってみよう”と思い立つ。だが、どの教会に? 困っていた久米さんに、不思議な偶然が訪れる。『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造役で知られる声優、大平透さんのラジオ番組にゲスト出演したときに八王子の教会を紹介してもらったのだ。
「CM中の雑談で、行きたいところはある?と聞かれて、教会と答えたんです。そうしたら大平さんのお宅がクリスチャンで、教会を建て替えているので家を礼拝堂に貸していると。しかも場所は八王子。こんな偶然があるなんて!と、びっくりしました」
道に迷ってしまい、たどり着いたのは別の教会だったのだが、今、久米さんが属している教派は大平さんが紹介してくれたところと同じバプテスト派。少しずつ糸が連なるように、縁はつながっていくものなのかもしれない。
そして、偶然たどり着いた教会も、素敵なところだった。アメリカ人の宣教師から、久米さんいわく「目から鱗のような」メッセージをたくさんもらい、婦人聖歌隊の歌う賛美歌に“これが音楽なんだよな”と深い感動を覚える。
「愛や平和、救いといった歌詞の内容と歌っているご本人たちの心にズレがないというか。本当にこういうことを思って歌っていると感じたんです。当時の私は、一応プロのシンガー・ソングライターとして活動していたけれど、私のほうが素人で、聖歌隊のみなさんのほうが本物なのかなと」
そこから約半年後、'81年の秋には洗礼を受けた。賛美歌だけでなく、キリスト教の教えに惹かれた理由を尋ねると、「ひと言で説明するのはすごく難しいんですけど」と前置きしつつ、次のように語ってくれた。
「それまでの私は、自分教の信徒だったんです。自分の考えや、やる気を信じていた。でも実際の私はそこまで強くないし、先々まで見通して行動することもできないんですよ。そこに牧師さんのお話がすっと入ってきたんです。『波に翻弄されながら目的地もわからずにひとりで進む人生と、ナビゲーターを隣に乗せて進む人生、どちらがいいですか?』って。今まで自己流で生きてきたけれど、やっぱり波がたくさんあった。
これからはそうではなく、聖書の神を自分の神様として受け入れて生きようと思ったんです」
結婚を機に電撃引退「シャッターを閉めます」
ちょうどこのころ、夫との出会いもあった。ザ・スクェア(現・T-SQUARE)というフュージョンバンドでキーボードを担当していた久米大作さんだ。'81年にバンドを離れてからは、映画『その男、凶暴につき』の音楽をはじめ、作曲・編曲や音楽プロデューサーとして活躍中。同じ事務所だったこともあり、ライブの打ち上げで話すようになったのがきっかけ。
「ミュージシャンの方って、当時は青山や表参道に住んでいる方が多かったんですけど、彼はずっと三鷹在住。八王子の実家から通っていた私は、同じ中央線というところに親近感が湧いて。あと、鍵盤の先輩なのでいろいろ教えてもらいたいと思ったのが、惹かれた理由ですかね」
対する大作さんは出会ったころ、久米さんにどんな印象を持っていたのだろう。
「心が強く、自分が求めていることに真摯に向き合う人だなと。こう言うと硬いイメージですが、普段は天真爛漫で明るく、生まれ育った地域も文化圏も近いので、出会いから和気あいあいでしたね」(大作さん)
その第一印象は、今も変わっていないという。
音楽について相談するうちに、ふたりの仲はいつしかお付き合いへと発展。大作さんが久保田家へ来ると、それまでのボーイフレンドの場合はいつも不機嫌だった父が、上機嫌だったという。明るくて屈託がない大作さんを「だから大ちゃんが好きなんだ」と、よく母にも言っていたそうだ。
交際期間は約3年。その間に大作さんも洗礼を受け、久保田早紀名義のラストアルバム『夜の底は柔らかな幻』のサウンドプロデュースも手がけた。
'84年の秋、久保田早紀として最後のコンサートツアーを行い、結婚を機に引退を決めた久米さん。迷いや未練はなかったという。
「最後のコンサートでも言ったんですけど、“久保田早紀という商店で売るものは全部売り尽くしたので、もうシャッターを閉めます”という気持ちでした。全部やりきったという思いがあったんです」(久米さん)