「夫の考えに寄り添ってきた」
《私たちの生活が一変したのは2002年の早春でした。この頃、一級建築士の資格を持つ夫は、彼の実家の敷地内に私たち家族の家を建てることに希望を見出していました。(中略)しかし、地鎮祭を迎えることなく彼は亡くなりました》(『ブランニューデイ あたらしい日』より抜粋、以下同)
また、佳代さんが現在も住んでいる横浜市内のマンションについても、
《圭が2歳の時に夫は東急東横線沿線のマンションを購入しました。私はTシャツで過ごせる気楽さから、地元湘南辺りの賃貸物件が良いのでは?と提案しましたが、東横線沿線は閑静な街並みが多くて住みやすいという夫の意見を尊重しました》
と綴り、住まいに関してもあくまで夫の意見を尊重していたことを明かしている。
エッセイ内では、佳代さんの夫との出会いやエピソードが赤裸々に記載されていて、その多くは“敏勝さんの自由な考えに任せてきた”というものなのだ。実際に同本では、
《「自由でいいんだよ。人生にはこれという正解はないから。やりたいようにやればいい」夫はいつも圭や私にそう言いました。けれど、夫には夫の考えがしっかりとあり、彼の考えに寄り添っていけば安心、と思わせてくれるものでした》
と、敏勝さんとの具体的なやり取りや、その際に感じた佳代さんの心情が綴られている。
佳代さんはこのエッセイ本で、自らの金銭トラブルや結婚騒動についてはほとんど言及していない。佳代さんが真に伝えたかった事とは上記の弁明ではなく、「夫を追い詰めたのは自分ではない」ということ、「夫の考えに寄り添ってきた」という“おっとりした女性”像だったのかもしれない。