やなせさんは騒ぎになるのを嫌い、妻の死を3か月間、公表しなかった。交流の多かった人間ですら、しばらく知らなかったくらいだ。
“一寸先は光”だと思ってやっていけば、なんとかなる
そのため、変わらずに仕事の依頼は次々入る。忙しく働くうちに、元気を取り戻したのだ。
「寂しくないですか?」
と聞くと、即答した。
「さみしくはないよ。これだけいるんだもん」そう言って、後ろの棚にぎっしり並んだキャラクターたちを指さした。アンパンマンに登場したキャラクターの多さは際立っている。さすがに全部は覚えていないが、「みんな子どもだね。みんな可愛いよ」
と、心底うれしそうだ。
93歳で現役。長寿の秘訣を尋ねると、「そんなこと知らねぇ」と一蹴した。
「とにかく、朝起きたら今日を生きる。翌日になったら、また1日。1日1日重ねているうちに、えー、こんなにたったのかと。まあ、イヤなことはなるべく考えない。人をうらんだり、ケンカしたりはしない。損だからね」
毎朝、6時に起床して、1時間ほど自作の歌を歌いながら体操。朝食には野菜スープを欠かさず、朝食の後は40分ほど睡眠。起きたら仕事し、昼食の後も昼寝。夕方にかけて取材や来客の相手をして、夜は12時に就寝─。
「初めは長編を書くつもりだったけど、僕はほら、もう93なんでね。途中で死んだら申し訳ないと思って(笑)。もう戒名も作ったし、墓の設計も自分でして完成したし。いつ死んでもいいんだよ」
最後に「みんなに元気づけるメッセージをお願いします」と頼むと、大きな声で叫んだ。
「俺を元気づけてくれぇー(笑)」
そして、少し考えて、続けた。
「まあねぇ、“一寸先は光”だと思ってやっていけば、なんとかなるよ。なんとかなるんだよ。俺も何度か絶望しかけたけど、しばらくすると、好転することがあったから。今度はついに身体がダメだけどね。だいたいわかるんだ」
やなせさんが生き抜いた戦後とは、そして「アンパンマン」に込めた思いとは。どこまでを掘り下げて描かれるのか、今後の朝ドラから目が離せない─。
取材・文/萩原絹代 ※2012年7月14日号『週刊女性』掲載から抜粋、一部改編
やなせ・たかし 1919年生まれ、高知県出身。三越宣伝部を経て独立、漫画家、絵本作家、編集者、詩人などとなり、『手のひらを太陽に』など多くの作品を生む。'73年よりフレーベル館の月刊絵本に『あんぱんまん』掲載開始。'88年にテレビアニメ『それいけ!アンパンマン』放送開始、国⺠的⼈気を博する。2013年94歳で永眠