女装パフォーマー、ライターで、LGBTに関するセミナーMCも務めるブルボンヌさんに、LGBTとして生きることについて伺った。
「自分がゲイだと自覚したのは、中学1年生のとき。でも思い返してみれば、小さなころから近所のお兄ちゃんが好きだったり、小学生時代は“女っぽい”と言われたりで、思い当たることばかり(笑い)。“男のくせに男が好きなんておかしい”と言われても、病気じゃないから治せないんですよ。世間がいう“マトモ”な形への矯正は無理。だって、私たちセクシュアルマイノリティーは、これで“マトモ”なんだもの」
「男は男らしく、女を好きになれ。変われ」と言われ続けると、自尊心が削られ、生きるのもつらいということを理解してほしいと訴える。
「『週刊女性』の読者は親御さん世代が多いかと思いますが、もし、お子さんがLGBTだったとしたら、映画『アナ雪』のエルサではないですが“ありのまま”の姿を見て、受け入れてくださればうれしいですね。父親より母親のほうが性にまつわる問題を柔軟に受けとめやすいと思うんです。男性は“男尊女卑”という言葉にもあるように、上位にいるじゃないですか。だからこそ“男はこう、女はこう”と言ってしまいやすい。でも、女性は男性至上主義に疑問を持つ人が多いし、性は固定的ではなく、揺らぎがあるということを本能的に理解している気がします」
男性同士の恋愛を描いたボーイズラブや、女性が理想の男性として振る舞う宝塚を楽しめるのも、柔軟さのなせることだと語る。
「私は幸いにして、自分が同性に惹かれることに、自責の念はありませんでした。でも、世間には私たちのことを理解できない人がいるということもわかっていました。だから、恋人と外で手をつないで歩いたりはできなかった。自分自身、恥ずかしいと思っていたのかもしれません。オッサン2人が日本の街中で手をつないでいる姿なんて、認められなかったんです。その後、手をつなげるくらいにまで私が吹っ切れたときには、その人との関係はプラトニックになってしまっていましたけどね(笑い)」
母親へカミングアウトしたのは30代前半。
「旅先のタイで話したのですが、反応は“そうなんだ、やっぱりね”というもの。その晩、ゲイ・ディスコへ一緒に踊りに行きましたね。カミングアウトが遅くなったのは、余計な心配をかけたくなかったから。マイノリティーであることを負担に思われたくなくて、“私はいま、こんなに幸せよ!”という姿を見せることができるようになったら、伝えようと思っていたんです。誰よりも幸せそうにしていれば、きっと認めてもらえるんじゃないかな、ってね」
現在はライターとしてゲイ・カルチャーのことを書いたり、多様な性について解説を求められる取材を受けたりしているブルボンヌさん。
「最近では、企業団体などから“LGBTについての講義をしてほしい”との依頼をいただくこともあります。特に教育現場では、小さい子でも“この子はもしかしたら”という兆候が、先生方にわかるらしいんです。どういう受け答えが必要かを悩んで、先生同士で勉強会を開いている熱心な自治体があるんですよ」
「オカマ!」と言われたブルボンヌさんの幼少期と比べると隔世の感があるが、できることなら、お手伝いしたいと語る。
「渋谷区のパートナーシップ条例は、日本が多様性を認める社会へ向けて歩み出した第一歩。同性パートナーシップ政策が取られている国のデータを見ると、少子化は横ばい、もしくは回復傾向なんです。性差について考えられる国だからこそ、女性の子育てと仕事の両立も考えられるんでしょうね。みんなが生きやすい社会が、本当のゴールだと思います」