松山ケンイチ主演のドラマ『ど根性ガエル』(日本テレビ系)が本日最終回を迎える。ドラマの放送を追うようにして、吉沢やすみの娘で漫画家の大月悠祐子が描く『ど根性ガエルの娘』という漫画の連載が、週刊アスキーWEB版で始まっている。
そこで、娘の大月に国民的人気漫画の裏にあった想像を絶する“家族の再生物語”について語ってもらった。
新しいヒット作が出ないプレッシャーから失踪した父・吉沢やすみ。雀荘や夜の街を渡り歩きボロボロになって帰ってきたが、家族は大喜び。しかし、一件落着とはいかなかった。
「当たり前ですが、もう仕事はないんです。でも、父は相変わらずギャンブルにのめり込み、いったん出ていくと帰ってこないことがしょっちゅうありました」(大月)
ついに『ど根性ガエル』で稼いだお金も底をつき、文子さんが働きに出ることに。
「子どもが学校に行っている午前中だけ働くことを父は渋々、認めたんです。母の仕事は看護師だったんですが、母が資格を持っていることを父は知らなかったんですよね(笑い)」(大月)
平成5年になるとドラマ『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)で江口洋介がピョン吉のTシャツを着ていたことで、『ど根性ガエル』が再び注目を浴びることに。
その後はパチンコ台やパチスロ台、薬のCMでキャラクターに起用され、またユニクロでTシャツが売られたりしたことからキャラクター版権収入が入るようになり、吉沢家の家計も安定した。
懇意にしていた出版社から吉沢に仕事の依頼も来るようになっていた。だが、吉沢がギャンブルから完全に抜け出ることはなかったという。
平成11年。大月が25歳のときである。彼女もすでに漫画家として仕事を始めていたが、ある日、夜更け近くに出版社から1本の電話が入った。
「父の原稿が締め切りをとうに過ぎても上がってこず、困り果てているという電話でした」(大月)
大月が心当たりのある雀荘とパチンコ店をしらみつぶしに当たると、一心不乱にパチンコを打つ吉沢の姿を見つけた。そして強引に連れ戻そうとしたが、
「確変入ったっつってんだろうがあああ! 話がつうじねえなあああ」
という怒声を浴びせるとともに吉沢は夜の街に消えていき、またしても原稿は落ちてしまった。
それでも家族はあきらめず吉沢を支え続けた。最大の転機となったのは、大月の弟夫婦に子どもができたことだった。
「孫の力は偉大です。父は変わりました。グレていたころがウソみたいです」(大月)
現在65歳になった吉沢のもっぱらの楽しみは孫と一緒に遊ぶこと。もうペンを持つことはないが、ギャンブルは続けているという。
ただし夕方にはちゃんと帰ってくるそうだ。大月は吉沢に対し、
「私も仕事をするようになって、やっと父の気持ちがわかるようになりました。死なないでくれてほんとにありがとう」と言う。そしてこう続けた。
「そんな父の姿を見て、改めて『ど根性ガエルの娘』を描く決意を固めたんです。でも執筆動機は“怒り”じゃありません。父への感謝と、大小さまざまな事情を抱えた日本中の家族に向けて、父のことを届けたかったんです。きっと、何か感じることがあると思うから……」(大月)
孫ができるまでの間、家族が吉沢を献身的に支え続けた姿は、これから大月が描いていくという。