【好評連載・フィフィ姐さんの言いたい放題】一人前になるためには10年以上もの歳月を要するといわれる寿司職人の世界。だが、堀江貴文氏は10月29日のTwitterにて、“最近は美味い店でも独学が少なくない。センスの良い人は習わなくてもできるのよ”“今時、イケてる寿司屋はそんな悠長な修行しねーよ”“そんな事覚えんのに何年もかかる奴が馬鹿”と発言。この一連の発言を受け、フィフィは日本が誇るべき“職人”について改めて考えたという。
寿司職人に求められるものとは?
かつて留学をした際、ニューヨークの寿司屋でアルバイトをしていたことがあります。あちらでは、人種問わずバイトさんも握っていましたが、そのとき食べた寿司について、まずいとは思いませんでした。だけど、寿司職人さんに求められるのは、果たして食べられる形にするということだけなのでしょうか。
寿司を握る、寿司という形を作るということだけならば、たしかに堀江さんのおっしゃるように、10年以上もの歳月はかからないのかもしれません。機械で握ることもできる時代ですからね。だけど、職人さんがシャリを握る、その微妙な手のさじ加減ひとつで、驚くほど味は変わってきますよね。
まして寿司屋というのは、カウンター越しに一対一でサーブするという、非常に日本的なサービスの仕方をするわけです。職人さんは、当然さまざまな人たちとの、一対一での対応力を求められてるわけ。相手の顔色を見ながら、間合いを読みながら、一貫一貫を出していく。観察力はもちろん、あらゆる会話に対応できる知識量も必要。
私はひとりで海外に行くことも多いのですが、海外で少し良いものを食べたいと思ってもカウンター文化がないもので、結局は独り寂しくテーブル席で食べることになっちゃうんだよね(笑い)。
だけど日本の寿司屋にはカウンターがあり、一対一での会話を楽しむことができる。色々なことを教わることもできるし、満足感も高まるの。そしてお客さんも、寿司屋というものにそこまでのサービスを求めてるんじゃないのかな。
果たして、こうした域に数か月で到達できるでしょうか。体得するには、10年以上とは言わないまでも、ある程度の歳月は必要だと私は思う。
職人気質は、日本が世界に勝負できる売り
寿司を食べにきた外国人が一番喜ぶのは、手元が見えるということなんです。職人さんたちの手つきや手さばきを間近で見ることができる。真似しようと思っても一朝一夕では真似できない、たしかな技術がそこにはあるよ。ごまかしがまったく効かない。
英語にも職人を表す言葉はあるけど、「匠」と言われるような繊細な日本の職人のイメージにぴったりの言葉は見つからないんですよ。それだけ日本の職人文化というのは、世界でも稀な存在、誇れるものなんだよね。
たとえば、町工場の職人さんたちが技術を守ろうとしてるなか、世の中では効率の良さばかりが重視されがちになっていますよね。少しでも簡単な方へと流れていき、従来の日本の職人気質といったものはムダだと切り捨てられていく。だけどそれじゃ、クオリティも下がっていく一方です。細かさ、丁寧さといった日本人の良さがどんどん薄れていっている現状は寂しいよね。
今回の堀江さんの発言も、こうした最近の動きを象徴してるよね。これまで話してきたような日本ならではの職人気質は、世界で勝負できる売りなんだから、今の世の中の流れと共になくしちゃダメだと私は思う。
《構成・文/岸沙織》