岩手・宮城・福島の3県を中心に、1万8000人以上の死者・行方不明者が犠牲となった東日本大震災。
「震災から4年になりますが、復興はほとんど進んでいないと思います。まだ仮設住宅がなくなっていませんから。仮設から出たくても出られない人がいっぱいいる」(地元の60代男性)
海と山が入り組んだリアス式海岸で知られる三陸の大船渡市を訪ねた。高台に位置する寺から市街を見下ろすと、なんとも言えない光景が広がっていた。
海のほうでは漁港や水産加工所が稼働し、コンテナの積み下ろしをする貨物船も見える。巨大なセメント工場が稼働しているのもわかった。
一方、山あいに目を移せば難を逃れた住宅地。さらに震災後に建ったと思われる家屋も少なからずあって、人々の営みが確かに感じられるのだが、街の中心部はまったく異質だ。
津波によって何もかも根こそぎ流されてしまった市街地には、荒涼とした空間が広がっている。
「流されたところは、土が盛られたままになっているからね。防潮堤を工事して街をつくるっていってるけど、いつになるのかわからないよ」
自宅が流され、2年間、仮設住宅に暮らしたという50代の主婦にも話を聞いた。1人当たり、4畳半ほどのスペースしかなく、日々の暮らしに困窮したが、赤十字から洗濯機をもらってとても助かったという。
「あの時に比べたら、だいぶいいかもしれんけども、まだまだ知ってる大船渡じゃないよね。でも、被災してから、本当にいろんな人にお世話になった。会ったこともない人が寄付や食料を送ってくれたり、街でも手を貸してくれる人がいっぱいいた。記事にするとき、みなさんにありがとうって伝えてください」
同じ岩手県でも、陸前高田市で目を引いたのは、巨大なベルトコンベヤーが稼働する様子だった。
震災による地盤沈下が大きく、最大84センチも下がった陸前高田市では、津波の被害を繰り返さないため二重の防潮堤を築き、さらに市街地全体を最大11メートルかさ上げすることになった。
街の中心は、高台の造成地へと移転する予定だ。
近隣の山を切り崩して住宅地を造る。採掘した土砂は旧市街地へと運ばれる。そのために昨年3月から、巨大なベルトコンベヤーが動き始めた。
運び出される土砂は東京ドーム7杯分にもおよぶ分量だが、トラックなら9年かかる工期が3年に短縮できるという。川をまたいでコンベアが走る部分は、吊り橋状の構造に。市民に呼び名を公募し、“希望のかけ橋”と名づけられた。
復興のシンボルとして一躍有名になった“奇跡の一本松”からもほど近いが、
「これから高田がどうなるのか、本当にこれでいいのか、わかりません。土木関係とか大きな企業ばかりに、お金が回っているような気がします」(70代主婦)