■「人を並ばせるほどの人間になりたい」
今井さんの役者への道を後押しした人物がもう1人いる。アイドルとして人気絶頂だった郷ひろみだ。
「ダンスを見て自分で振り付けして踊っていましたよ。郷さんが福知山に来たとき、朝5時起きで会場に行ったらすでに何百人もの長蛇の列。てっきり自分が1番だと思っていたからびっくりしたと言っていました。
弟は“まだ10代のこの青年のためにこんなに人が並ぶのか!”と感動して、自分もそっちの人間になりたいと思ったみたいです。それも芸能界を目指したキッカケでしょうね。人を並ばせるほどの人間になりたいという思いが強くなったんですね」(陽子さん)
ここで父親が立ちはだかる。高校を卒業してすぐに芸能界入りすることなど認めない。
「弟は高熱を出して大学受験することができず、でも浪人することはせず自衛隊に入りました。もともと、父の反対を押し切ってまで自分の夢を追うつもりはなかったようです。父は“せめて2年間だけは絶対にやり遂げろ”と言ったんです。そのくらいのことさえできない人間が芸能界でやっていけるわけがない、というわけですね」(陽子さん)
エリートコースである戦車隊の試験もクリアし実力を示したうえで除隊。しかし、まだ父の許しは下りなかった。
「“役者になるにはやはり勉学も必要だから大学受験に挑戦しろ。そして4年間勉強して、卒業したら役者になれ”と言ったんです。役者がダメだったとしても、大学を出ておけばほかの道もあると考えたんですね。
弟は自衛隊を辞めた10月から4か月間猛勉強して青山学院と法政に合格。“英語を武器に世界に飛び立ちたい”という理由から法政大学の英文科を選びました」(陽子さん)
原宿にアパートを借り、学生生活が始まる。5万円という家賃は当時としては高かったが、少しでも芸能界に近い場所に住もうと考えた。
「オーディションには落ち続け。“そんな顔で役者になれるわけがないだろ”と言われたこともあったとか。学費と生活費は、自衛隊で貯めた300万円とアルバイトで工面。弟は1日に使うお金を200円と決めていたんですが、当時銭湯が190円だったんです。
お風呂に入ると残りは10円。それで考えたのが“マーちゃん風呂”でした。要するにタライです(笑)。原宿のパスタ店でバイトを始め、料理しながらちょくちょくつまみ食いして空腹を満たしていたようです」(陽子さん)
<追悼上映イベントのお知らせ>
今井さんが監督・主演を務めた映画『THE WINDS OF GOD‐KAMIKAZE‐』の追悼上映イベントが5月21日に『TOKYO FMホール』にて開催される。