前任の古舘とは、スタジオと現場に分かれ、二人三脚のようにニュースを発信してきた富川。古舘が番組降板を発表したのが12月24日。発表の当日、古舘に会いに行き“(辞めることを)まだ信じられません”と富川は言い続けたという。

「今でも夏休みの代役をしているんじゃないかとか、信じられない気持ちが残っています。でも、古舘さんとはこの10年あまり年に最低4回、春夏秋冬のタイミングでご飯を食べて、2人きりでお話しさせていただく機会もいただきまして。古舘さんの背中を追い続けたいという思いでアドバイスをいただき、自分なりにいろいろ試してきました。

 そんな中で突然、古舘さんが辞めると発表され、その後は誰がやるのかとなったとき、ここまで育てていただいた恩返しとして、『報道ステーション』の冠がつく限りは、ほかの人に任せたくないという気持ちが強かったです」

 古舘から贈られ、自分の“芯”になっているのが“宿命に耐え、運命と戯れ、使命に生きる”という言葉だという。

「『報道ステーション』のキャスターを務めることは、生半可な覚悟でできることではありませんが、まさに運命と戯れるくらいの気持ちでやるのがいいのかな、と。使命というものはいくらでもあとからついてきますから」

 国際的なジャーナリストの組織『国境なき記者団』が発表した、報道の自由についてのランキングで日本は、'11年の11位から'16年には72位まで後退してしまった。ニュース番組を取り巻く環境は厳しいが、それだけに注目を集めているともいえる。

「何を言われても僕たちは、ちゃんと取材して、しっかりと伝える。それがすべてだと思っています」

 レポーター時代は月の3分の2は東京にいない生活だったという彼。キャスターになっての生活を聞いてみた。

「だいたい、帰宅するのは午前1時半から2時くらい。そこから録画しておいた『報道ステーション』と、他局の『NEWS ZERO』と『NEWS23』を、半身浴しながらiPadでチェックして、ひとり反省会です」

 そんなときは、ビールを片手に1日の疲れをとるのかと思いきや……。

「いやいや、僕はお酒が飲めないんです(笑)。録画したものを見ると、寝るのは5時とか6時近くになりますね。そこで7時に子どもが起きてきて1回起こされ(笑)。また仮眠をとってから出社するというサイクルです。

 新番組に対する妻の評価ですか? 子どもを寝かしつけている時間なので、途中までは見たと聞きましたが、まだ感想を1回も聞いてません。いちばん厳しい存在ですから(笑)、聞くのはちょっと怖いです」

 まだ始まったばかりの“新生『報道ステーション』”。富川本人のキャッチフレーズは? の質問にはこう答えた。

「番組のキャッチコピーに“ぐっと近づく”というのがあるんですけど、まさにそれじゃないかなと。僕自身やスタッフも、古舘さんのとき以上に現場や視聴者にも、ニュースができるだけわかりやすくなるように、近づこうとしていますから。イメージ的には、“会いに行けるアイドル”のAKB48のように、身近な存在としての“報道番組の富川”になれればと思っています(笑)」

撮影/近藤陽介