「標準を作ってしまった日本社会」
障害者を見るとき、日本社会は憐れみの目線で見てしまうところがある。本来人間は、環境も思想も身体的特徴も、一人一人異なるはずなのに、日本社会はそこに“標準”を作ってしまった。
多様性があるものに対して戸惑い、隠そうとする傾向が強いからなのかな。その標準に満たない人に対して、憐れみを持って見てしまう。標準がすべていいわけでもないのにね。この憐れみを持つこと自体が、バリアフリーを妨げてしまっているんじゃないかな。
『24時間テレビ』の裏では、この“感動ポルノ”としての障害者の扱い方に異議を唱えるかのように、『バリバラ』という番組が放送されるそうですね。こちらは'12年から放送が始まっているんだけど、障害者自身がどこまで笑いをとれるのかということに挑戦した内容で、真のバリアフリーに向けた動きも見受けられます。
たとえばこうした番組のように、健常者の視点からばかり考えるのではなく、障害者は社会とどうやって共存していきたいと思っているのか、障害者の視点からももっと考えていく必要があると思うよ。
《構成・文/岸沙織》