津波が施設を襲ったのは全員が避難したわずか1分後
ラジオでは、津波到着予想時間を「仙台港に15時40分」と伝えていた。助かるには、この時間までが避難のリミットだと意識した。
小助川園長は仙台市内の会合に出席のため、連絡がつかない。介護職員と話していると10メートルの津波警報とわかり、事務長は約1・5キロ北側の仙台空港に避難すると決め、すぐに指示した。
「公用車をすべて玄関前へ」
職員たちはリフト付きバスなど13台を玄関先に配置した。また毛布や非常食、医薬品、利用者のケース記録を車に詰め込んだ。
ワゴン車は本来、車イス2人乗りだが、その介助者2人のほか8人の利用者を一気に乗せた。この第1陣の車は我妻さんが運転した。
「玄関先に利用者さんたちが集まっていたので、迅速に出発できました」
空港に向かうと最も手前にある橋には地震によって段差ができ通行禁止状態。回り道をして耐震工事をすませていた「相野釜橋」を渡った。この橋も崩れていたら、無事に避難できたかわからない。空港に着いたのは15時10分。玄関前に利用者を降ろした。しかし施設ではほかの利用者が待っている。空港職員に「まだ多くの高齢者が避難してきます」と伝え一目散に戻った。途中、施設の車とすれ違い、橋のことを伝えた。
施設に着くと、市から3台の送迎車が応援に来ていた。再び、仙台空港に着いたのは15時35分。このころ小助川園長は岩沼市に向かって歩いていた。メールを送っていたが、15時37分、ようやく「空港に移送中」との返事が届いた。
「10メートルの津波では堤防を越えることは確実です。ダメかもしれないと何度も不安がよぎりましたが、現場の判断がよかった。ちゃんと逃げてくれると思いました」