避難時間を7分に設定していた
デイサービスを利用していた大槻かちさん(89)はバッグが気になっていた。娘にプレゼントされた指輪をはずして現金とともにバッグに入れ、ロッカーに預けていたからだ。しかし職員から「バッグと命、どっちが大事なの!」と言われ避難を優先した。
空港まで避難しても大槻さんは「津波がくるとは思っていなかった」。だが避難先の3階で近くの男性に促され外を見ると、目を疑う光景が飛び込んできた。
「家も流れていた。あのときのことを思い出すと、本当に水は恐ろしい」
車や松林の木が駐車場まで流れてきて、津波は3・2メートルの高さまで浸水した。海上保安庁や民間のヘリなどが被害を受けた。仙台空港は一時、孤立した。翌日、自衛隊の大型ヘリ(50人乗り)で救出する話も出たが、施設ではその後のことを考え、断ったという。
「ヘリに乗る場合、(避難先として)茨城県へ向かうことになるということでした。職員同行も条件。“助かってもバラバラになる”と思い、現場が判断したようです」(小助川園長)
そのため、ほかの避難できる道を探った。我妻さんらが空港内で非常通路を発見し、国土交通省と交渉した。マイクロバスで総合福祉センターへ向かった。
園長不在のなか、なぜ、マリンホームは迅速な避難ができたのだろうか。ひとつは、避難限界時間を決めていた火災避難訓練をしていたことが挙げられる。
「津波想定の訓練は1回もしていません。ただ、年2回の火災避難訓練で、避難時間を7分に設定していた」
時間内に避難することは職員や利用者の中に刻まれていたことになる。