その千葉は現在、千葉県館山市で依存症からの回復を目的とした施設を運営している。当時の隠し子騒動について彼女に話を聞いた。
「息子のことが公になったとき、松方さんは“根掘り葉掘り女房に聞かれた”って言われていましたね。でも、彼は女性にモテまくってて、どの人が本命なんだか、恋人は誰なんだか、本人もよくわかってなかったんじゃないかな。だから子どもができても彼と結婚したいとは思わなかった。奥さんと闘おうという気持ちもなかったです。彼は何があっても、息子が大人になるまで養育費を毎月30万円送ってくれました。子ども2人を抱えてシングルマザーで育てていたので、本当に助かりました。感謝あるのみですね」
その息子、十枝真沙史は現在32歳。2歳からは父親に会っていないという。
「僕にはそんなに父の記憶がないので、テレビの人という感じでした。亡くなったあとの報道の大きさを見て、偉大な父親だったんだなあって思いますね。僕が生まれたのは父のおかげなので、ありがとうと言いたいですね」
千葉も最後に松方に会ったのは30年ほど前。子どものことで相談に行ったという。
「ホテルニューオータニで会ったのですが、エレベーターの中で“部屋に行こうよ”みたいな感じで肩をトントンってしたんですよ。私は“何言ってんの”って手を払いましたけどね。
そうしたら、1月22日の昼間に、誰もいないはずなのに肩をたたかれた感じがしたんです。で、翌日に息子がネットニュースを見て“オヤジが死んだ”って教えてくれたんです。自由になったから見回りに来たのかなって思いますね。でも、女の人が山ほどいたから前日に亡くなっていたのに、いろんなところを回ってきて時間がかかっちゃったのかな(笑)」
千葉も話すように、とにかく、女性に愛された松方さん。そんなモテ男の最期を看取ったのが、25年間連れ添った山本さんだった。
行きつけのレストランのオーナーは…
松方さんは、京都の豪邸は仁科との離婚の際に手放し、亡くなるまで都内で暮らしていた。自宅近くにある行きつけのレストランのオーナーが、ふたりの様子をこう話す。
「松方さんと奥さんは3年くらい前から入院する前まで、月に2、3回のペースで来てくださいました。マグロの話などをよくしてくださいましたが、よく食べるのは魚よりお肉でした。うちではそれほどお酒を飲まず、飲んでも日本酒を3合ほど。おふたりで楽しそうに飲んでらっしゃいました。
キリッとされた奥さまで、どちらかというとカカア天下って感じ。そんな彼女を“かわいいなあ”って感じで、松方さんが“ハイハイ”って話を聞いているのが印象的でしたね」
ひとりで看病し続けたのは彼女の“妻”としての意地だったのかもしれない──。