今でも仏壇で手を合わせられません

「最初は涙を流しながらしゃべりました」

 宮城県名取市の保育士・松崎江里子さん(29)は「たくさんの人に知ってもらいたい」と、閖上(ゆりあげ)地区で特定NPO法人『地球のステージ』が主催する語り部の活動に参加している。

 震災当日、仙台市中心部で仕事中だった。バイクや自転車も倒れた。それでも自宅に帰れると思った。職場の近くから途中まではバスで来たが、そこからは歩いて閖上に向かった。

 その途中、「どこへ行くんだ?」と声をかけられ、津波がきているのを知った。閖上に津波がくるとは想像もしていなかった。家族を探したが、携帯電話は通じない。

 2日後、祖母と母、弟とは会えた。しかし、父は1か月後、自宅の近所で遺体となって発見された。

「(震災があった)金曜日は、父は仕事が休みで、その日は起きてこなかったので出勤前に会っていません。最後の会話も覚えていない。亡くなったと聞いたときは直視できませんでした。今でも仏壇で手を合わせられません」

 気分が落ち込んでいたが、ひとりの精神科医との出会いで向き合えるようになった。震災後、閖上に行けたのも医師と一緒だったからだ。

つらいときに、シクラメンに話しかけることがあると話してくれた松崎さん
つらいときに、シクラメンに話しかけることがあると話してくれた松崎さん
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 そのとき、ピンクのシクラメンが咲いていた。中学校の担任がくれたものだ。

「落ち込んでいた私を勇気づけてくれました。震災後も2年間は咲き続けました。引っ越しで環境が変わったため、枯れてしまいました。いまは別のシクラメンを育てています」

 また、閖上ではマンホールの蓋を見つけた。

「小さいころに遊んだ記憶があります。それを題材にした絵本もできました」

 自費出版された絵本は、マンホールの蓋をステージにして、近所の人たちに歌を披露していた女の子・エミリの物語。津波が起き、父親は行方不明。ただ、マンホールのステージは残され希望を抱くという内容だ。

「震災当時よりは前を向いていられる」

 語り部は震災を伝えることと同時に、心のケアにもなっている。