窪美澄さんの長編小説『やめるときも、すこやかなるときも』(集英社刊)は、大切な人の死が忘れられない男性・壱晴(いちはる)と、恋の仕方を知らない女性・桜子(さくらこ)の不器用な物語。タイトルがとても印象的です。
全部わかってほしくて全部預けちゃう人
「健やかなるときも、病めるときも、どちらのボリュームが大きくなってもあれなんですけど、誰かと暮らし始めたり、生きようと思ったときには、健やかなるときだけではないよね、というところは言いたかったですね。病めるまではいかなくても、人間それぞれ健やかじゃないところもあるわけじゃないですか。そこをお互い背負っていこうね、ってところはタイトルに入ったかなと思います」
建築学科を卒業後、家具職人となった壱晴は、過去のトラウマが原因で肉体的な問題を抱えています。
「何か欠損している人、欠如している人に色気があると思っているわけではないんですが、ほかの作品にもそういう人たちが繰り返し出てきますね。なぜか、興味があるんでしょうね」
壱晴は幼少期より、友人宅に遊びに行くと間取りを細かく観察して、自宅に戻るとブロックで再現します。人間そのものより、生活環境に関心を示す。そんな壱晴のキャラクターはどのように生まれたのですか。
「壱晴っていう男の子に関しては、うちの息子をモデルにしています。彼も建築学科を出ていて、子ども時代、ブロックとかでよく遊んでいたんです。そこは彼の子ども時代からの着想というのはありますね」
32歳で処女である桜子のキャラクターも強烈ですね。壱晴と数回会っただけで、「この人と結婚する」と決めたり、処女を捨てるために土下座したり。
「ある種、恋愛したことがない人って、飛び出しナイフみたいなところがあるのではないかなと。想像ですけどね。何かを伝えたりするときに、生身で丸ごと出ちゃうみたいな感じがある。結構、私の小説で土下座シーンって多いんです。土下座と頬を張るのと。唐突な場面展開みたいな意味合いはあるかもしれない」
桜子は、いわゆる“重い女性”ですが、そういう女性を描く理由は何でしょう。
「身に覚えがあるから。私がわりと(相手に)頼りきっちゃうタイプ(笑)。この人って相手を見つけたら、全部わかってほしくて、全部預けちゃうみたいな人は多いんじゃないかなと思います」