「グリーンスクール卒業のプレゼンテーションイベントで、僕は『Successful Failure(成功した失敗者)』というテーマで話をしました。それをきっかけに失敗だらけだった自分の体験を見つめ直したことが今につながっています。人はみんな違うから、ひとりひとりに合う教育を見つけられる社会を作りたい」
三反田祥哉さん(19)は、現在、慶應義塾大学環境情報学部の2年生。中学卒業まで兵庫県で生まれ育った。母親の明子さんは、彼の子育てに苦労したという。
「2歳ごろから全く目が離せない子でした。興味があるほうに突然走り出す。つないだ手を振りほどいて走る祥哉を必死で追いかけたものです。夢中になると周りの声が聞こえず、何度言ってもご飯を食べない、お風呂にもなかなか入らない。理由もわからず叱ってばかり。全く生活はまわらず本当に大変でした」
授業中も先生の声は彼の耳に届かなかった。小学3年生のころには、教室のいちばん前に特別席を用意された。先生のすぐ横に、みんなのほうを向いて座らされる。それでも図書室で借りた漫画『火の鳥』を読みふけっていた。
「小学校のころは気弱で、スクールカーストの下のほう。反抗してたわけじゃなくて、漫画が読みたいと思ったら我慢できなかった」(祥哉さん)
学校では、消しゴムのカスをゴミ箱に捨てる、1列に並ぶなど、ごく簡単な「みんなと同じ」ルールが守れない。両親は規律正しく生活できるようにと願い、ボーイスカウトや空手道場、塾などにも通わせたが、どこも指導者が「手に負えない」と音を上げた。
夏休みの自由研究などは熱心に取り組むが、同じ漢字を繰り返し書く宿題は「なんでこんなわかりきったことやらなアカンの?」と絶対にやろうとしない。それでも学校の成績はいいほうだった。
小学5年生のとき、発達検査を受けるとADHD(注意欠如・多動性障害)と診断され、精神科医にコンサータという向精神薬を処方された。
「ちゃんと育てなければというプレッシャーも強く、当時は個性を認めてあげることができませんでした。薬を飲めば落ち着くのではないかと思いましたが、食欲がなくなり、夜は眠れず朝も起きられない。やせていく様子を見て、親の判断で1週間で薬をやめました」(明子さん)
その後、体調は戻ったが、学校でも家庭でも、同じような生活が続いていた。地元の公立中学へ進学し、そこからがまた大変だった。
「学校が面白くなくて、やんちゃな子とつるみ始めた。2年生の途中からは夜遊びするようになって、学校もほとんど行かなくなりました」
酒にタバコ、バイクを乗り回すようになり、夜遊びしては明け方に家に帰る。昼間は寝ているため学校にも行かない。負のループに陥り、両親の手に負えなくなっていた。
そうして、中学2年生の終わりから1年2か月間を児童自立支援施設で過ごすこととなる。「不良行為をするおそれがある児童などに必要な指導を行い、自立を支援する児童福祉施設」である。両親は「そこでようやく心身ともに生活を立て直すことができ、感謝している」と言うが、祥哉さんはこう語る。
「なんでも強制的に行動させられ、常に寮長の顔色をうかがって耐えるだけの毎日。胸ぐらをつかまれたこともあるし脱走もした。心を入れ替えるどころか、僕にとっては何も意味がなかったと思う」