3月末に急逝した志村さん。芸歴50余年の間、お茶の間に笑いを届け続けた一方で、決して見せようとしなかった“笑顔の向こう側”には何があったのか。日本一のコメディアンの“素顔”に迫る秘話の数々―。その《追悼連載》第1回は「息子」と呼んだ若者に贈った金言に込められた思いを掘り下げる。
志村けんさんが亡くなってから初めての放送となった4月4日の『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)。志村さんに代わってMCを務めることになった嵐の相葉雅紀は番組冒頭で挨拶に立った。
「志村さんが亡くなられたことは信じられませんし、受け止めきることができません。悲しすぎます……」
そう言うと、大きく息をついて、あふれそうになる涙をグッとこらえた。
「……志村さんが安心してお休みいただけるように、今日はみんなを笑顔にできるように頑張りたいと思います」
『志村どうぶつ園』は、“コント番組以外のテレビ番組はやらない”と言われていた志村さん唯一の、コント以外のレギュラー番組。それだけに、思い入れは強かった。
「“トーク番組やクイズ番組の司会は興味ない。俺は文化人になりたいんじゃなくてコメディアンだから”と公言していた志村さんが、この番組を引き受けたのは、とにかく動物好きだったからなんです。子どものころ、家の前で車にはねられた野良猫を、家に連れ帰って必死で看病したこともあったそうですから」(テレビ局関係者)
総工費3億円の“お犬様御殿”
中でも犬が好きだった。各テレビ局や繁華街からも近い東京・港区内のマンションを引き払い、わざわざ郊外に、総工費3億円ともいわれた豪邸を建てたのも、犬を飼うため。かつては5匹をいっぺんに飼っていたこともあった。
「私の家の前の道が、ちょうど志村さんとワンちゃんたちの散歩コースだったようで。ご自宅にいらっしゃるときは必ず、豆柴とゴールデンレトリバーの2匹を連れて、ゆっくり歩いてらっしゃいましたね」(近所の住民)
2004年の番組スタート当初から2012年まで出演し続けたチンパンジーのパンくんに注いだ愛情も語り草になっている。