いじめられっ子から異色漫画家として'00年代にブレイクした山咲トオル。最盛期のテレビ出演本数は255本、休みも月に1日だけに。しかし、当時のオネエはキワモノ・ゲテモノ枠で扱われることも多くあり、複雑な思いを抱えていたようで……。そんなジェンダーレスタレントの先駆けが抱えていた悩みとはーー。
アイドル歌手になりたい
「絵を描きたいという理由で休んだので、特に休業宣言はしなかったんです」
ホラー漫画家とは思えない俳優顔負けの端正な顔立ちに、柔らかいオネエ言葉のギャップがウケ、最盛期の年間テレビ出演本数は255本と'00年代に大ブレイクを果たした山咲トオル。小学生のころから現在のキャラクターだったこともあり、いじめを受けていたという。
「LGBTという言葉がなかった時代ですからね。小学生のときは石を投げられることもあったし、中学生のときは学校中から“オカマ!”と呼ばれていました」
しかし、地元で唯一のデザイン科のある高校に進学したことで、環境が一変する。
「個性的な学生が多かったこともあり、私のキャラクターも受け入れてもらえたんです。同級生は今でも連絡を取り合う大切な存在ですね」
そんな高校時代に、人生を変える出来事が。
「3歳のころからテレビの世界に入りたいと思っていたのですが、16歳のときに2歳年上の姉(中沢初絵)が歌手デビューしたんです。身近な存在が芸能界入りしたことで、アイドル歌手になりたいという思いが強くなりましたね」
夢を叶えるために高校卒業後に沖縄から上京。オーディションを受け続けたが、合格できない日々が続いた。
「200~300回ぐらい受けましたね。これで最後という覚悟で受けたホリプロ主催の『第3回 飛び出せ! 日本男児』コンテストでようやく最終審査に進むことができたんです。でも優勝することはできず、きっぱり諦めることにしました」
就職しようと求人情報誌を買いに入ったコンビニで、運命の出会いを果たす。
「ホラー漫画の雑誌を立ち読みしたら、新人賞の募集をしていたんです。もともとデザインの学校に通っていたこともあり、自分でも描けるんじゃないかなと急いで画材を買いそろえ、応募しました」
すぐに編集部から連絡があり、正式デビューが決まる。
「1作だけかと思っていたのですが、半年後にはその雑誌の表紙に起用され、1年後には単行本を発売と、トントン拍子に進んでいきましたね」
あるとき、誌面に山咲の顔写真を掲載すると、作風とルックスのギャップに読者から大きな反響があった。