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圧巻の「怪物ショー」だった。
ロッテの佐々木朗希(ろうき)が4月10日のオリックス戦で史上最年少となる完全試合を達成。日本タイ記録となる19奪三振、13者連続奪三振は日本記録を3つも更新するアンタッチャブルレコードとなった。
対戦相手は昨季のリーグ優勝チームであるオリックス。「三振しない男」として知られる吉田正尚を3三振にねじ伏せたことも、完全試合の“価値”をさらに上げた。
高校時代の恩師が受けた批判
「バッターにとって何より厄介なのは、ストレートとフォークのフォームにほとんど違いがないこと。打者は投手のわずかなフォームの違いで球種を見分ける。それができない状態で160キロ超のストレートと120キロ台の変化球をしっかりストライクゾーンに投げられたら、バッターはお手上げですよ。
しかも、あれだけ球速が速いのに、全力で投げている感じがない。佐々木本人も『脱力して投げることを心がけていた』と言っていたし、球速と球威を保ったまま1試合投げきるペース配分ができたらもう無敵です」(野球評論家)
軟式野球部に所属していた中学時代から注目を浴びていた佐々木。腰の疲労骨折をするなど決して身体は強くなかったが、周囲の指導者が無理をさせないことで「令和の怪物」へと成長していった。
期待が高まる一方で、その過保護ぶりが批判の的になることもあった。
大船渡高校では3年夏の県大会でエースで4番でありながらも、國保陽平監督が「故障予防のため」という理由から決勝戦で登板回避。チームは敗れ、甲子園出場を逃した。
当時、高校には250件もの批判が殺到。野球界でも賛否両論が巻き起こったが、今回の完全試合達成で「國保監督の判断は正しかった」と手のひら返しの反応も。恩師もホッとしたに違いない。