「ここ3年で両親を見送り、途方に暮れながら遺されたモノの片づけをするなかで、さまざまな思いが心によぎり、何度も涙が流れました」と語る井田典子さん(62)。
整理収納アドバイザーとして活動し、片づけは本職ではあるが自分の親の持ち物に関しては苦慮したという。
老いる前に、“小片づけ”の習慣を!
ふたりが亡くなる前、両親が住む広島の家に帰省するたびに、弟と一緒に「実家の片づけ」をサポートしていたが、モノを捨てるのに罪悪感を持つ世代である老親の家は、なかなか片づかなかった。
「ふたりとも、いわゆる『捨てられない』世代。“モノを捨てる=粗末にする”という感覚があったことに加え、体力が衰えるにつれて判断が先延ばしになり、さまざまなモノが家の中に蓄積していました。
保管する量が多いほど、どこに何をしまったかも覚えていられなくなり、晩年、探しものばかりしている姿を見ると、本当に気の毒でした」(井田さん、以下同)
結局、老親ふたりを見送ったあとには、膨大なモノが遺された。
「遺されたモノには父と母の人生に直結するものもたくさんあって、処分するたびに心が痛みました。そのときに気づいたのは自分が遺したモノは必ず、『いつか誰かに、つらさを譲ることになる』ということ……。
大事だったものを捨てるのは、誰でもつらいもの。でも、遺されたモノの数だけ、遺された人の涙が流れます。そう考えると、私自身の残りの人生は“捨てるつらさを誰かに譲らない生き方”をしていこうと思いました」
命の終わりを想定して備える話は、「終活」という言葉をイメージさせるが、井田さんは以前からその言葉にどこか違和感を持っていたという。
心身ともに衰えた両親が、いわゆる「終活」としての片づけができず、たくさんのモノを遺して亡くなったことを非難する気持ちはまったくないと振り返る。
「いつとも知れない『終点』に向かうという意識より、『今』を大切に刻むために、毎日その場で要不要を判断する“小片づけ”をして、適量で暮らす習慣をつけることのほうが大事。
その習慣が、気が重くなる『終活』を不要にして、身軽で自由な人生を最期まで送れることにつながるのだと思います」