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ー 山下にとっての“ホーム”だった
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ー 武道館でライブをやらないわけ

 

「代わりに葛飾でやるか、それとも八王子にするか……」

 1月26日、東京・中野区にある『中野サンプラザ』でのライブで、そう語った山下達郎。昨年6月から3年ぶりとなる全国ツアー中で、今回のライブは当初、昨年8月に行われる予定のものだった。

「ツアーが始まった直後の7月に達郎さんがコロナに感染。その後もバンドメンバーが感染し、療養期間のために6公演が延期されたんです。ちょうどその時期は11年ぶりのオリジナルアルバムが発売されて、ラジオや雑誌でのプロモーションに奔走していましたから疲労もたまっていたのでしょう。妻の竹内まりやさんは、そのときの達郎さんを“結婚して40年たつけど、こんなに忙しくしているのは見たことがない”と驚いていました」(スポーツ紙記者)

 2月4日に70歳になり、古希を迎えた山下。まだまだ第一線を退くつもりはなさそうだ。冒頭のライブには竹内もアンコールに登場。達郎はMC中に感極まった表情を見せるなど、かなり力が入っていた様子。

山下にとっての“ホーム”だった

「中野サンプラザは再開発のため今年7月での閉館が決まっていますが、達郎さんはこのコンサートホールに並々ならぬ思い入れがあるんです。

 1976年のソロデビュー後、1980年にはカセットテープのCMのために制作した曲だった『RIDE ON TIME』がヒットしましたが、その発売日に行ったライブの会場こそが中野サンプラザなのです」(同・スポーツ紙記者)

 山下がデビューする2年前、1973年に竣工した中野サンプラザは、ホテルやプール、ボウリング場などを備えた複合文化施設。中でもコンサートホールは、国内外のアーティストが高く評価する都内有数の会場。

 山下もここで幾度となくライブを開催してきた。

「最大収容人数は2000人程度ですが、“いちばん後ろの観客にも演奏者の音がよく聴こえる”と達郎さんは気に入っていましたし、ファンからも“ホーム”として愛されてきました。閉館が決まった際には“何でも壊して新しくすればいいと思ってる”とボヤいていましたね」(レコード会社関係者)