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「一度だけ、死んでやろうと思ったことがあるの」
と、萩本欽一は言う。20代後半、コント55号の人気が絶頂のときだ。週刊誌にあることないこと書き立てられ、事実を話しても記事にはならない。精神的にまいった。やけくそになり、「死んで抗議してやろう」と熱海の錦ヶ浦まで行き、崖から飛び降りようとした。
が、死ねなかった。
運があったから引き返した
「ビビって引き返したのは、自分に“運”があったからだろうね」
『広辞苑』を引くと、【運】は「人知・人力の及ばないなりゆき」と出ている。しかし萩本は、自らの「意思」による運の使い方で人生は変わると話す。
「世の中、悔しいことがいっぱいあるでしょ? 腹も立つよね。だけど、腹が立った相手に対して敵を取ってやろうと思うと運がなくなるの。夫婦ゲンカもそうだよ。“アンタなんか嫌い!”って言うから殺伐として仲が悪くなる。“アンタなんか、いま嫌い!”って言ってごらんなさいよ。いつでも元に戻れるから。それが大人の会話。運をなくさないって、そういうこと」
幸運も、不運も、人には同じだけ訪れる。その運に逆らうことなく自身の人生を歩んできたと萩本は言う。
「80代になってもコメディアンでいられるんだから、幸せすぎだよ。だけど、その人生を自分の力で切り開いてきたっていう実感はないから、偉そうなことは何も言えない。自分の生き方をひと言で表せば、“ダメな奴ほどダメじゃない”ということになるかな」