目次
Page 1
ー 天童よしみが泣くと気持ちが曲に乗る ー 『NHK紅白歌合戦』27回と輝かしい実績
Page 2
ー のど自慢で“常勝”の天童が味わった挫折 ー どん底の天童を救った偶然の出会いとは
Page 3
ー 天童が近くにいると紅白歌合戦を見ない両親
Page 4
ー 演歌歌手のイメージを破る“キャラ変”
Page 5
ー 演歌歌手を超えたノンジャンルボーカリスト
Page 6
ー 「ずっとステージに立っていたい」
Page 7
ー 出演映画『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』

 天童よしみはステージで歌うとき、感情が高ぶって、泣いたりすることはほとんどない。しかし昨年リリースした50周年記念アルバムのタイトル曲『帰郷』をコンサートで歌うときには感極まって、涙を流しながら歌うことも珍しくないという。

天童よしみが泣くと気持ちが曲に乗る

 天童バンドのドラマー・そうる透(65)が語る。

ボーカルが泣くとよくないと思われるかもしれないけど、天童さんの場合は、全然そうではない。むしろその気持ちが曲に乗って、観客に伝わるんですよね。

 歌詞に“ありがとう”という言葉が何度も出てくるんだけど、その“ありがとう”の声の表情がすべて違う。しかもコンサートの場所によっても違う。仙台、神奈川、大阪、岡山……同じ“ありがとう”がないんです。いつも客席の方の年齢、性別、いろいろな要素をよく見て、どんなふうに歌えば伝わりやすいかを微調整しています」

 客席を見渡すと観客も一緒に泣いている。この『帰郷』は、これまでの天童の人生を歌った曲ではあるのだが、コロナ禍でコンサートが開けなかったこと、そしてようやく今、ファンと再会できる喜びを歌った曲のようでもある。《帰ってきたわ 故郷(ここ)に》の「故郷」にそれぞれの地名をあてて歌うと、ファンの涙腺は崩壊する。

 コロナが蔓延して以降、コンサートの予定がすべてキャンセルになった。天童は、「歌をやめようか」と考えたことがあったという。しかし「ゼロからスタートできるチャンスってそう経験できることではない」と気持ちを切り替え、ファンクラブの人たちに直接電話をし、これまでの感謝を伝えた。半世紀の歌手生活で初めての経験だ。

「みなさん喜んでくれました。でも中にはファンのダンナさんが電話に出られて、いくら説明しても振り込め詐欺だと思われて電話を切られたこともありました(笑)」

『NHK紅白歌合戦』27回と輝かしい実績

ポップス、ロックなどもステージで歌う天童には“演歌歌手”というカテゴリーは狭すぎる
ポップス、ロックなどもステージで歌う天童には“演歌歌手”というカテゴリーは狭すぎる

 彼女の輝かしいキャリアはあらためて言うまでもない。『NHK紅白歌合戦』に通算27回、現在26回連続出場中でトリも3回務めた。シングル『珍島物語』は130万枚超えのミリオンセラー。'17年には日本レコード大賞最優秀歌唱賞を女性歌手としては史上初、3度目の受賞をした。

 押しも押されもせぬ歌謡界を代表する歌手が、自らファンに直接電話をする。それは、天童が歌い手として歩んできた道のりと無関係ではない。どん底で打ちひしがれていたときも、ファンがいてくれたからこそ頑張れた。「負けてたまるか」で歩んできた天童の半生をたどりたい。

《やってやれない事はない》

 そんな歌い出しで始まる『女侠一代』(畠山みどり)が、天童よしみが生まれて初めて覚えた演歌である。その後の天童の人生を暗示するかのような歌詞だが、選曲したのは父親。バンドを組み、サックスを吹くほどの音楽好きで、娘に歌を教えるのが半ば生きがいのようになっていた。時に厳しい要求が続いた。『女侠一代』には浪曲節でコブシを回さなければならない部分がある。小学1年生の天童には難しかった。

 克服するチャンスが訪れたのは、父親の運転する自転車の荷台に乗せてもらって歌の練習をしていたときだ。凸凹道にさしかかって自転車が上下運動をしたとき、いきなりコブシが回った。父親は、

「それや! それがコブシや! もう一回行くで!」

 何度も凸凹道を往復した。

「スポ根アニメの『巨人の星』みたいでね。でもそのおかげでコブシというのは喉だけで歌うのではなく、身体全体を使うものだとわかりました」