生活保護の申請のために訪れた福祉事務所で水際(申請を希望しているのにさせてもらえず、
生活困窮者の支援活動を行う『つくろい東京ファンド』の小林美穂子氏が、その全容を語る。
コロナ禍で職を失い、生活保護を希望
コロナ禍に正社員の仕事を失った竹内さんは、半年間、失業保険を受け、その後は社会福祉協議会が窓口となる特例貸付金を借りながら、日雇いやバイトで生活を繋いでいた。
その後、どうしても生活が立ちいかなくなったことから、生活保護を申請することにしたのだった。
しかし、助けを求めた福祉事務所で、担当した若い相談係は保護の申請をさせてくれなかった。受付票の生活保護の欄に丸をつけ、口頭でも生活保護申請の意思を伝えているにもかかわらずだ。
竹内さんは生活保護を申請するに当たって参考にしていた記事があった。
2021年2月に横浜市で生活保護申請をさせてもらえずに追い返された若い女性の体験について、筆者が書いた『生活保護申請者に不適切対応、横浜市の非情すぎる発言 “録音テープ”の中身を公開』という記事だ(https://www.jprime.jp/articles/-/20369?display=b)。
記事を読んだ竹内さんは、「そんなことがあるのか」と半信半疑だったが、自分の身を守るためにも勇気を振り絞って録音することにした。その勇気のおかげで、ブラックボックス化している福祉事務所の面談風景が再び可視化されることになる。
過酷な子ども時代を生き延びて17歳で自立
竹内さんは両親からの虐待を受け、子どものころから児童養護施設や祖父母の家を往復しながら育った。高校はすぐに中退し、17歳の若さでガソリンスタンドで働き始め、自立している。頼れる人はいなかった。
いくつもの仕事を経てきたが、家がないことは常に就職のネックになってきた。日雇いや寮付き仕事だと搾取されて最賃以下で働かされることもある。
足元を見られて給料もまともに払わないような悪質な企業もあった。それでもようやく正社員の仕事を得たと思ったら、コロナ禍で離職を余儀なくされる。
会社都合の退職。失業保険を受給する日々が終わると貸付へ。
日雇いやアルバイトで何とか食いつなぐことはできても、次第に家賃を払えなくなって去年の夏から恋人宅や親族宅に身を寄せることになった。
助けてくれるはずの親族は、彼の名義で携帯電話の契約をしたり、カードを作ったりした。