都内の一軒家から古民家、公営住宅と、住まいや暮らしを年々、サイズダウンしてきたイラストレーターの本田さん。家族の介護や看取りを終え、昨年からはひとり住まいに。「子ども家族との同居は考えなくて。この年から自分ひとりでどこまでできるかやってみたいと」高齢から始まる「おひとりさま」への不安と期待―率直な思いを伺いました。
67歳にして、人生初めてのひとり暮らし
女性誌を中心に活躍するイラストレーターの本田葉子さんは、これまでに2度の“暮らしのダウンサイジング”を経験してきた。
1度目は2017年、夫を病気で亡くしたとき。東京の5LDKの一軒家から、義母と息子、愛犬と義母の出身地でもある神奈川県・小田原市にある古民家に転居した。
「私は海のない長野県出身なのですが、海辺で暮らすことに憧れもあって。それから、高齢の義母と老犬が穏やかに暮らせるところがよいという思いもありました」(本田さん、以下同)
そして2021年春、義母が在宅介護を経て、97歳で亡くなる。翌年の春には、愛犬も16歳で静かに旅立った。夏には息子も独り立ち。本田さんは、67歳にして、人生初めてのひとり暮らしをすることになった。
思い立ったら行動は早い。家賃や部屋の広さを半分にすることを目標に住まい探しを開始する。土地勘がある小田原市の公営住宅に申し込むと、たまたま空き部屋があり、2023年春に引っ越した。本田さんいわく「昭和のレトロ感漂うアパート」。家賃は3分の1となり、経済的にも大助かりに。
「思えば以前、夫との何げない会話の中で、『将来2人きりで暮らすことになったら、どこに住みたいか』と話したことがありました。私は『海のそばがいい』と言ったのですが、夫は『都内のほうが便利だし、都営住宅は家賃が安いわりにはいいらしいぞ』なんて話していて。今回ひとりになったときに、ふっと夫の言葉が浮かんで、公営住宅という手があるなと」
近くに住む娘と義理の息子からは同居しないかという申し出もあったが、できるだけ子どもに頼らず、自分で頑張ってみたい気持ちが強かったという。
「ただ、公営住宅が決まるまでは気持ちの悪い夢を見ては、叫びながら飛び起きたことも。やっぱりどこかで不安だったんでしょうね……」
悩ましかったのが、新居に持ち込む物の取捨選択。
「例えば思い出のある家具。特に東京から小田原に引っ越すときは迷いましたね。夫のお気に入りだったり、買ったときのエピソードも浮かぶので名残惜しいけれど、大きすぎて持っていけなくて」
粗大ゴミにして捨てるのは忍びないと、友人に引き取ってもらった。でも、父親の小引き出しは今も活用、母親の足踏みミシンはグリーンや小物の飾り棚になっている。
「手元に残したものは、懐かしむというより、引き継いで使っていくぞ!という感じ」
一方で、捨てすぎてあとで後悔したものも。
「小皿ですね。人数分で十分と思っていたのに、味見したり、おたまを置いたりと意外に必要だったんです。これは反対に断捨離を考えていた友人から譲ってもらいました」
夫や義母の小物や洋服も一部を手元に残し、日常使いをするように。
「出かけるときは夫の遺品を身に着けるのがマイルール。今日は腕時計や指輪がそうですね。思い出に浸るより、イキイキと活用したいので」
外出時の「おしゃれ」は、楽しみのひとつだ。
「年を重ねたら、めったに着ないよそ行きの服より普段着でおしゃれしたいなと。それに、好きな色合わせは変わらないけれど、苦手だった柄物や派手めの色も、ボトムに使うと元気が出る気がします」