■すべての責任を俺に持たせてください
「コンセプトを作ったのは俺なの。当時のTBS社長だった山西由之さんとご飯を食べながら話していたんだ」
と語るのは、かつて芸能記者としてワイドショーなどで活躍した鬼澤慶一。故・山西社長は鬼澤を前にして、こんな弱音を漏らしたという。
「歌番組には参ったよ。何やっても視聴率が上がらない」
すると鬼澤はこう答えた。
「いまのような番組ではダメですよ。俺だったら全然違う番組を作っちゃうけどな」
「なにを生意気な。なら、お前やるか?」
「やらしてくれるなら作りますよ。ただし、すべての責任を俺に持たせてください」
■絶対にウソをつかない
こうして鬼澤が考えたという新しい歌番組『ザ・ベストテン』が立ち上がる。独自のランキング形式で順位はレコードの売り上げ、有線とラジオのリクエスト、そして全国の視聴者からのハガキをカウント。そこで鬼澤が最も大事にしたというのは「絶対にウソをつかないこと」だった。
「当時は山口百恵が大人気だった。でも、百恵の曲がベスト10に入らなくても、順位を決してイジってはダメ。もし百恵が11位でランキング外になり、どうしても彼女を番組に出したいからって9位にしちゃうとか、そういうことをしたら、この番組は終わる。本音は俺だって百恵を出したい。でも、この姿勢をスタッフが理解してくれたら、視聴者にも信頼されると思った」
■歌手をどこまでも追いかけろ
番組の放送時間帯にランクインした歌手が地方にいれば、追っかけて生中継。事前に収録しておいた本人メッセージを流すようなことはしない。生放送の原則だ。
「俺は記者だったから、番組スタッフにも歌手をどこまでも追いかけろと言った。記者はとにかく本人をつかまえてコメントをもらう。そういう気持ちで歌番組もやらなきゃダメだって伝えました」
■久米宏を半ば強引に起用
実は、黒柳徹子と久米宏という名コンビに司会をお願いしたのも鬼澤だったという。以前より親交があった黒柳にこんな電話をかけた鬼澤。
「今度、新しい音楽番組やるんだけど、司会やらない?」
「ワタシ、音楽番組なんてやったことないんだけど……」
「だから、いいんだよ。慣れてる人が必要ならアナウンサーでいい。でも、たとえ番組の途中でメチャクチャになっても、黒柳さんなら視聴者も許してくれるだろうし、俺もそういうのが面白いと思う」
黒柳がOKすると、相方となる男性について、番組スタッフは、こう提案した。
「黒柳さんはどちらかというとツッコミ役ですから、ボケ役の男性がいいですよね?」
「ちょっと待て。俺はボケとツッコミがいるような番組を作るつもりはないぞ!」
そこで白羽の矢を立てたのは久米宏。しかし、スタッフサイドは納得していない様子。
「なぜ、ダメなんだ!? ダメというなら、ちゃんと手をあげて、その理由を言え!」
黙り込むスタッフ。こうして鬼澤が半ば強引に「ハイ、決定」としたという。
■楽屋は一種の独特な世界
楽屋では出演を控えた百恵とこんな遊びをしたことを覚えている。
指で1本の糸をつまんだようなしぐさを見せ、「この糸、何色?」と尋ねてくる百恵。しかし、もちろんそこに糸はない。「この糸、何色?」。再び問い詰めてくる百恵。困った鬼澤は「わからないよ。そんなにイジメないで教えてくれ」。すると百恵はペンで紙にこう書いた。《此の糸》、つまり紫。
こうした、ちょっとしたクイズをして百恵と遊んだと振り返る。
「でもね、楽屋にほかの誰かが入ってくると、表情をサッと変えてやめちゃうんだ。ふたりきりのときだけ、そういう話をした。
楽屋っていうのは一種の独特な世界で、歌手同士で話したりはしない。明菜が先に楽屋の中にいると、聖子は後から入っていかないし、百恵にピンク・レディーが話しかけているのも見たことがない。みんなそれぞれ意識してるんだなって思った」
■視聴率はうなぎのぼり。最高41・9%を記録
「最高視聴率を出した日は、どこかの地方ロケで、押しかけた人たちで俺の身体は宙に浮いた。足が地面に着いていないの。挟まれたまんま、あっちこっちへ運ばれて、もみくちゃにされて大変だった」
いま振り返っても、やれることは全部やったという鬼澤。
「山西さんに“作れよ”と言われたところから始まって、生放送で、ランキングを作って、地方はどこまでも追いかける。そういう記者精神みたいな番組を体現できたし、視聴者からも支持されたから、満足しています」