TRF結成から30年以上たった現在も、ダンサー、ダンスクリエイターとしてファンを魅了し続けているCHIHARUさん。58歳という年齢を凌駕するパフォーマンスで昨年行われたアニバーサリーライブも大成功を収めた。
ダンスは言語のひとつ

「実はダンスがなかったら人前に立てないくらい、話すのが苦手で人見知り。だから、私にとってダンスは言語のひとつなのかもしれません。ライブにはデビュー当時を知る同世代のファンがたくさん来てくれるので、ガッカリされないような姿を常に見せたいと思っています」
ダンスにかける強い気持ちは幼少期にさかのぼる。近所のバレエスクールで踊る楽しさを知り、5歳から高校2年までクラシックバレエ一筋で過ごした。
「牧阿佐美バレヱ団でも習っていましたが、プロを目指すには股関節の柔軟性や脚の形が大きく影響すると気づき断念。やめたら体重が激増したのでダイエット目的でジャズダンスに転向したんです(笑)。でも、今までとは違うジャンルの曲で踊ることの楽しさを知って。とにかくうまくなりたいしインストラクターの道も考えて、ダンスを続けていこうと決めました」
今でこそ中学校の必修科目になるほど一般的になったが、当時は目標となるプロのダンサーは皆無。ただひたすらレッスンに励んだ。
「郷ひろみさんやレベッカ、中森明菜さんのバックダンサー、レッスン講師やショーの出演料で生計を立てる日々でした。海外から来日した憧れのダンサーの前で踊ったら“違う! (CHIHARUは)下がって”と相手にされなかったことも。他人と自分を比べて悔し涙も流しました。でも、根がものすごく負けず嫌い。スランプに陥っても前しか見えないんです。尊敬する先生のレッスンはすべて受けて、どうすればうまく踊れるかを模索しました」
スキルアップが仕事につながると信じて18歳からはニューヨークに留学し、ブロードウェイダンスセンターで技術を磨いた。そして1年後、師事していた先生の帰国と同時に自身も日本に戻り、東京のブロードウェイダンスセンターへ。ちょうどこのころ、人生に転機をもたらす出会いが重なる。