2月21日、すい臓がんのため59歳の若さで亡くなった坂東三津五郎さん。若いころから梨園に新しいお客さんを取り込もうと努力してきたこともあり、三津五郎さんには若い女性がお客についてくれたそうだ。
そんな三津五郎さんが宝塚歌劇団のスターだった寿ひずるさんと結婚したのが’83 年のこと。プロポーズの言葉は、「(宝塚を)いつ辞められますか?」だったという。
「寿さんは花組のトップになるというときに、結婚のために退団したんです。だから、“なんでスターの座を捨てて、苦労する梨園に嫁ぐんだ”って、陰口を叩く人もいましたよ」(演劇評論家)
結婚の翌年には長女の菜生、次の年には次女の幸奈さんを出産。だが、女の子が続いたことで、梨園のプレッシャーが彼女を襲う。
「梨園の妻として一番の仕事は、男の子を産むということ。特に坂東家は先代、先々代ともに入り婿で、三津五郎さんが74年ぶりの男子だったんです。だからでしょう、お姑さんの期待は相当なものでしたよ。女の子が生まれたときの寿さんの第一声はいつも“ごめんなさい”だったそうです」(坂東家の贔屓筋)
待望の男子を授かったのは、次女出産から4年後の’89 年のこと。跡取りとなる巳之助が誕生したのだ。
「次女の幸奈さんを産んだあと、寿さんはネフローゼ症候群を患い入退院を繰り返していたんです。巳之助くんの妊娠がわかったとき、お医者さんからは命取りになるからと出産を止められた。でも、彼女はそれを押し切って、文字どおり命をかけて跡取り息子を出産したんです」(前出・坂東家の贔屓筋)
そのときの喜びを寿はインタビューでこう話している。
《3人目でようやく男の子を授かって、そのときは思わずベッドで“ありがとうございます”って泣いてしまいました。肩の荷が下りたような気がしましたね。(中略)電話で知らせを受けた主人が“お父さん(9代目三津五郎)、やった!”って。それがすごい大きな声だったそうで、いまだに父が“あのときはすごい声だった”と言って笑うほどなんです》(『週刊読売』’94 年12月25日号)