初の女性研修医になる山本佳奈さん

 福島第一原発から、わずか23キロ。“原発にもっとも近い病院”である南相馬市立総合病院に、この4月から初の女性研修医として山本佳奈さん(25)が赴任する。

 現在、滋賀医科大学医学部6年生の山本さん。卒業を目前に控えた彼女が研修生活を南相馬で送ろうと決めた背景には、被災地での出会いがあった。

「大学4年のことだったんですが、医大の友人が南相馬に行くことになったんです。私も行ってみたかったものの、ひとりで行く勇気がなかった。それで友人についていくことにしたんです」

 そこでは医師たちが、被災地の人々のために懸命の努力を続けていた。

「根元先生は震災時も避難もしないでずっと病院に残られて。外科の先生だというのに、いまは訪問診療もされているんです。小鷹先生は震災後に入られた神経内科の先生ですが、被災地の方々がひきこもりにならないよう、日曜大工の教室を開かれたりして。医療からちょっと離れたところでも、地元の人たちに貢献されている。“こんな先生方がいるんだ!”と驚いたんです」

 両医師らは“現代の赤ひげ”として地元でおおいに尊敬され、山本さんにも強い印象を残した。だが、それでも自分が南相馬に赴任するとは当時、思ってもいなかった。

「研修先の選択肢には入っていませんでしたね。行く勇気もありませんでした」

 そんな山本さんも5年生となり、翌々年から始まる研修先の選択が近々の問題となってきた。当初の希望は東京の救急病院での初期診療。激務の極みのような現場ではあるものの、やりがいの大きさで、医学生に人気が高い職場である。

 “野戦病院”との異名をとるほど救急医療に定評のあるB病院に惹かれたが、地元・関西での研修医生活も捨てがたい。

「滋賀の市民病院をはじめ4〜5つの病院に願書は出してみたものの、どうしていいかわからない。そこで5年生のころからお世話になっている東京大学医科学研究所の上昌広先生に相談したら、“とりあえずB病院を受けてみなさい”と。受けてみたんですが結局、落ちてしまって」

 もともと数人の募集枠に数十人の医学生が集まるような高倍率ではあったものの、ショックは強かった。そんなとき、上先生から思いがけない話を聞く。

 “南相馬で1つ、研修医の枠が空いているよ─”。友人からは、“南相馬総合病院って女性医師がいないんだよ。ひと味違う経験ができるかもね”。

 にわかに南相馬での研修が魅力的になってきた。

「私、南相馬総合病院に行きます!」

 恩師・上先生に伝えると、同病院に連絡、こころよく赴任を許してくれた。ところが……。

「上先生から南相馬総合病院にお願いしていただいたらOKが出た。母にそう伝えたら、“なんで行くの!? どうしてわざわざ被災地の南相馬なの!?”。泣かれてしまいましたね」

 復興最中の土地へ赴任する、娘を思えばこその涙。

「“知っている先生もいるし、お母さんが思っているほどひどい状態じゃない”。そう言ったら言葉は少なかったけれど、“あなたが決めたのなら行きなさい”。そう言ってくれたんです」

 みずから選んだ被災地での新生活。山本さんはこう決意する。

「私は幼かったために、神戸の震災も記憶にないんです。まずは仲間にさせていただくという姿勢が大事だと思います。ただ、医師30人程度の規模の病院なのでやれることが多いと思うんです。せっかく福島に行くからには、被災地の方の施設で検診など、福島でないとできないことで南相馬に貢献できたら、と思っています」